また、県内産の自給率向上のためには、夏野菜の生産拡大が必要であります。このためには比較的夏場の気温の低い霧島山麓や曽於、肝属の山間部では夏野菜の生産も可能ではないかと考えますが、これに対する生産上の課題と試験研究機関における夏野菜の研究はどのようになっているのか、お伺いするのであります。
今後、ますます産地間競争は激化することが予想され、この中で本県を食の創造拠点と位置づけ、本県の農畜産物の生産拡大を図っていくためには、販路拡大と
かごしまブランド確立の重要性がさらに高まっていくのではないかと考えますが、平成三年度以降の鹿児島県総合基本計画の第一期計画の中で、
かごしまブランドの展開を今後どのように進めていかれるつもりなのか、知事の見解をお聞かせ願いたいのであります。
知事は就任以来、常に先頭に立って
かごしまブランドの確立に取り組まれ、本県農産物のイメージアップと販路拡大を進めておられますが、平成二年度においても海外においてはパリの国際食品見本市に参加するとともに、シカゴ、香港にアンテナショップを設置するなど、農産物の輸入自由化の荒波に積極的に立ち向かっていかれ、さらに国内的には日本一早い
グルメシリーズ事業を新たに開始されております。
パリやシカゴなど、海外においては世界的な健康志向と日本食ブームがうまくマッチし、黒酢、サツマアゲ、し
ょうちゅうなどに人気があったと聞いており、今後に明るい展望を持つものであります。
一方、さらに東京において本県の農畜産物を一堂に展示し、薩摩大使や在京の著名人に鹿児島の日本一早いグルメを味わってもらったとのことですが、平成二年度の日本一早い
グルメシリーズ事業の成果をどうとらえ、平成三年度に向けてどのように取り組まれるのか。
また、平成三年度においても新たに
かごしまブランド食の創造フェアを開催され、消費宣伝活動をより充実されると聞いておりますが、この具体的内容についてもお聞かせ願いたいのであります。
次に、畜産についてお伺いをいたします。
私は「旅人」という月刊誌の中で、鹿児島を訪れたことのある有名な俳優が、鹿児島のイメージとして、桜島、西郷、しょうちゅう、それに畜産であると述べていたのを記憶しております。関係者ならだれでも鹿児島は畜産王国であることぐらいは知っているのでありますが、県外の一般の方々までこのように鹿児島のイメージとして畜産のことを抱いてもらえるようになりましたことは、大変喜ばしいことであります。
さて、牛肉輸入自由化もいよいよこの四月から現実のものとなりました。昭和六十三年の六月、
牛肉輸入自由化決定の報に接した折には生産者はもとより、関係者一同、これから先どうなるものかと動揺を隠し得なかったのでありますが、国においては我が国の畜産を死守するという観点から、生産者サイドに立脚した諸施策を展開し、中でも
肉用子牛生産安定特別措置法、畜産物の価格安定等に関する法律の一部の改正、さらには多くの自由化関連対策を講じられたところでありますが、県ではこれら国の事業を積極的に取り込み、その推進に最大の努力をされた結果、何とか自由化への軟着陸ができると確信しているところであります。
牛肉輸入につきましては、昭和六十三年度から完全輸入自由化までの移行期間の措置として、輸入枠拡大が実施され、毎年六万トンずつふえたのでありますが、結果的には完全輸入自由化同様の状況となり、輸入牛肉はちまたにあふれているのであります。
自由化すると安い牛肉が幾らでも手に入り、国産牛肉は壊滅的状態になるのではないかと心配されたのであります。しかし、自由化決定以来、国産牛肉の価格は上昇し、それに連動して子牛価格も市場最高値を維持しています。やはり国産牛肉はおいしい、輸入牛肉はそれなりの味と消費者は判断し、価格のみで国産牛肉の消費は左右されず、輸入牛肉と国産牛肉の住み分けができたことを証明したと考えております。
また、懸念された豚肉、鶏肉への影響もなく、現在では牛肉輸入枠拡大は正の作用が強く出ており、生産者にやる気を起こさせ、やればできるという自信と自由化何するものぞという強い意思が大きく芽生えているのであります。
私はこのような状況を肌で感じ、本県の畜産は安泰であり、未来はまだ洋々たるものがあると感じている次第であります。本県の畜産は、さきにも述べましたが、全国一の畜産県であり、本県産業の中核をなしているのであります。
ちなみに申し上げますと、畜産は平成元年度の農業粗生産額四千三百二十四億一千四百万円のうち、五二%の二千二百四十六億四百万円であり、また二次産業においても県全体の製造品出荷額一兆五千二百億円の実に二八%に当たる四千二百億円が畜産関連産業で占められており、いかに畜産が本県産業の中で大きなウエートを占めているかがわかります。
しかし、私は今の畜産のあり方に甘んじていてはならないと考えるのであります。中でも肉用牛関係につきましては、零細、高齢化など、生産基盤が弱く、また養豚、養鶏に比べ、生産性や斉一面で劣勢を強く感じているのであります。
県当局では、これら難問を克服するため、あらゆる施策を講じられていますが、さらに今後肉用牛についてのこれからの問題を解決するためには、私は生産性の向上と品質面の改良こそが一番大切なことと考えております。
そのためには、受精卵移植などの最先端技術を取り入れた改良の促進こそが、目標に近づけられる最善の方策ではないかと思うのであります。
幸いに、本県は昭和五十七年度から国が創設した受精卵移植事業に取り組み、これまで双子生産や体外受精、凍結卵の開発等の成果を得ているのでありますが、一般農家に対し、大々的に普及し、子牛生産の増頭を図るには、まだコスト高になっており、越えなければならない課題がまだ多く残されています。
しかしながら、困難な受精卵移植を活用して、全国で最初に受精卵移植による産子を利用した兄弟検定を開発し、種雄牛造成をしているのであります。受精卵移植は新しい技術であり、複合された高等技術の中で部分的にはこれから研究開発しなければならない分野も多々あると聞いております。
このような新しい技術を研究開発するためには、意欲ある優秀な研究スタッフと資材が必要なことは言うまでもなく、研究施設等の拡充もしなければならないと考えているところであります。
バイオテクノロジー研究については、動物に比べ一歩リードしている食物の分野ではカルス培養、葯培養、胚培養等の技術開発による新品種育成や
ウイルスフリー苗の大量増産、優良種苗の大量増産と野菜、花卉、果樹、茶について農業試験場のほか、それぞれの試験場で鋭意試験研究が進められてきております。
また、家畜についてのバイオ研究体制の各県の状況は、受精卵移植の次は核移植へと技術開発競争にますます拍車がかかってきており、富山県肉用牛センター、兵庫県
中央農業技術センターや岡山県
総合畜産センターなど、新設によるバイテク部門の充実強化を済ませた県と、今後新設が検討されている県があると聞き及んでおります。
また、国においてもこれまで各地に設置していた十七種畜牧場を改組し、バイテク部門を主体とした改良増殖を図るため、平成二年度に
家畜改良センターとして新たに発足し、平成六年度までに統廃合を終える計画になっており、肉用牛界は真に
バイテク研究開発に真剣に取り組みつつあります。本県においても本格的な受精卵移植等を積極的に進める機運が出てきております。
そこで、知事及び農政部長にお伺いいたしますが、まず第一点は、県は牛肉の輸入自由化を目の前に控え、優良和牛の品種改良を図るため、
肉用牛改良研究所の建設準備に平成三年度から取り組むこととして、当初予算に基本設計費など計上されており、平成四年度から着手、平成六年度には全面オープンすると発表され、設置場所も大隅町と位置づけられ、町内をいろいろ物色されているようでありますが、私は平成四年三月をもって閉鎖が予定されている
農林水産省家畜改良センター鹿児島分場が適当ではないかと考えており、ぜひこの地に設置されることを要望するのでありますが、本研究所ではどのような研究内容を考えられているのか、具体的に御説明をいただきたいのであります。
第二点は、研究成果を効率的に種雄牛造成に活用するため、種雄牛の検定事業部門及び三ヵ所に分散している
種畜管理センターを研究所に包含し、肉用牛の一体的な研究体制を構築する必要があると思われますが、どのように考えておられるのか。
第三点は、現在の民間種雄牛造成については、県の畜産試験場及び肝属畜連の施設で年間七セットの種雄牛候補の検定が実施されておりますが、まだ不十分との声を聞いているのであります。これまで民有牛による肉用牛改良も重要な役割を果たしてきているのであります。競争のないところに発展はないと言われますが、新研究所の建設に当たって、施設の問題などあることは十分理解できますが、今後の民有牛の検定をどのように考えているのか。
第四点は、肉用牛は生産と肥育が分業の形をとっているのが現状であります。子牛生産農家の経営がよいときは肥育農家は困り、また逆のこともあり得るのであります。今後、肉用牛農家の経営を安定させるためには、生産から肥育までの
経営内一貫生産体制を進める必要があると考えますが、生産農家にとっては肥育技術が、また肥育農家では生産技術に不安を抱いているのが現状であります。
そこで、研究所内に
経営内一貫生産システムを取り入れた実証展示場を設置し、農家指導の機能を持たせたらと思いますが、いかがでしょうか。
第五点は、研究所問題とは別でありますが、肉用牛農家の現状を見ますと、高齢化が進み、年々肉用牛飼養農家は減少しております。このままでは、今後子牛生産の減少が危惧されますが、高齢者は生きがいとして子牛生産に励んでおります。しかし、高齢者は子牛の出荷や登録受検など困難な面がありますが、このようなことに手助けする方策は考えられないのか。
第六点は、肉用牛価格は輸入自由化決定以前の六十一年から三十万円以上で取引され、また輸入自由化決定以降は四十万円、五十万円にはね上がって推移しています。しかしながら、子牛生産は余り増頭しておらず、やはり生産者が輸入自由化で先行きに不安を感じているためではないかと思うのであります。
子牛生産については、肉用子牛不足払い制度で保証されているのでありますが、その保証基準価格が三十万四千円と、実勢価格との格差が余りにもあり過ぎるからではないでしょうか。
私は、この保証基準価格を三十五万円程度にし、生産者を安心させることが重要なことではないかと考えるのでありますが、県当局はどのように考えていられるのか、以上、六点についてお伺いするのであります。
[知事土屋佳照君登壇]
4 ◯知事(土屋佳照君)御承知のように、本県の農産物は素材としては大変すぐれたものが多いのでございますが、全国的に見れば評価がいま一つといったような感じがあることは否めないのでございます。
そういった意味で、本県の農産物につきまして、さらに品質の向上を図り、またPRによりましてイメージアップを図りますために
かごしまブランド確立運動を就任以来続けてきたわけでございますけれども、関係者への啓発活動や産地づくり、また販売戦略の展開もようやく軌道に乗ってきたように思っておるところでございます。
そのために、第一期実施計画では、この運動の一層の展開を図ることといたしまして、ブランド産地の指定や、
かごしまブランド賞の創設とか、産地流通懇談会などによります産地づくりの強化や日本一早いグルメシリーズの実施とか、野菜や果物を販売するべジタブルフルーツショップの指定、さらには
国内アンテナショップの設置、
かごしまブランドハウスや
ブランド商品開発支援センターの設置に向けての調査を進めますなど、具体的な販売戦略の展開を図り、本県の農産物のブランド確立に向けて関係者一丸となって取り組みを進めることにいたしているところでございます。
特に、御承知のとおり本県の地理的な特徴を生かした日本一早い
グルメシリーズ事業は、平成二年度の新規事業として
グルメふるさと便の宅配、大消費地における展示即売会やグルメ品目を使った料理の試食会などを通じまして、大消費地の消費者などに本県農産物の出荷時期の早さ、品質や味のよさなどを広く紹介をしてまいったのでございますが、思った以上に好評を博しておりまして、かなりの成果を得たのではないかと受けとめておるところでございます。
平成三年度は、
グルメふるさと便の宅配や展示即売会の実施に加えまして、新たに県内産地における出発式や県外市場における入荷式といったようなものを取り入れましたり、また
グルメ料理コンテストを実施いたしますとともに、各種イベントの開催地域を東京のほかに新たに大阪を加えて二地域といたしますなど、内容をより充実して取り組むことにいたしているところでございます。
次に、新たに設置することとしております
肉用牛改良研究所は、ただいまもお示しがございましたように肉用牛関係の研究体制を整備し、受精卵移植など、高度な新技術の基礎研究を行いますとともに、これらの技術を応用して種雄牛の造成と雌牛の改良増殖を促進することによりまして、鹿児島黒牛の資質の向上と生産の近代化を図りまして、肉用牛農家の経営向上に資することとしているものでございます。
研究所における主な事業内容といたしましては、新しい育種システムと増殖技術確立のための基礎研究、
受精卵移植技術等を活用した種雄牛の効率的な造成、また造成種雄牛の管理、精液並びに受精卵の採取保存と配布及び研究成果の情報収集や普及などを考えております。
5 ◯農政部長(山中 正君)県内市場での野菜の県内産の割合は県全体では六割程度となっておりまして、このうち鹿児島市中央卸売市場では、五割程度、地方卸売市場では八割程度でございまして、地域の生産農家からの生鮮野莱の出荷が多い地方卸売市場におきます県内産割合が高くなっておるところでございます。
県外からの野菜の移入につきましては、年間を通じましてタマネギ、ニンジンなどが北海道、佐賀、長崎などから多く入荷いたしております。
県内自給率の低い夏場には、キャベツ、レタス等の高冷地野菜が群馬、長野から多く入ってきておるところでございます。
本県におきます夏野莱につきましては、高温多湿の気象条件や台風災害、病害虫の発生等によりまして生産性が低いことや品質が劣るなどの問題がございます。このため技術的な課題解決を図りながら産地育成に努めてまいっておるところでございますが、これまで栗野の大根、伊佐地域の白ネギ、曽於北部のホウレンソウなどの産地化が図られたところでございます。
また、県農業試験場では中山間地の冷涼な耕地を利用いたしました新しい作型の開発や病害虫の防除などの試験に取り組んでまいっておるところでございまして、今後も引き続きまして県内の高冷地を中心にいたしまして、農業試験場の研究成果等を踏まえまして、適品目の選定と産地育成を進めまして、自給率の向上に努めてまいりたいと考えておるところでございます。
かごしまブランド食の創造フェアは、
かごしまブランド確立運動の販売戦略の一環といたしまして、平成三年度に東京で流通業者、マスコミ関係者、薩摩大使等を招いて実施することといたしておるものでございます。
その内容は、本県農産物の特徴を生かしました料理や新しく開発されました加工品、日本一早いグルメシリーズで実施いたします
グルメ料理コンテストの入賞作品の試食及び展示のほかに、本県のすぐれた農産物や加工品の展示紹介などを通じまして、鹿児島の味を広くPRすることによりまして、本県農産物のブランド確立に資することといたしておるものでございます。
次に、本県の種雄牛造成につきましては、遺伝能力を推定、評価するために県有、民有ともに
産肉能力後代検定を実施いたしまして、その成績によって選抜されました種雄牛の凍結精液を県内繁殖農家に配布いたしまして、子牛生産に供しておるところでございますが、
肉用牛改良研究所で、この一連の業務をどのように実施するかにつきましては、今後関係方面の御意見を承りながら検討してまいりたいと考えておるところでございます。
肉用牛の経営につきましては、一般的に繁殖経営と肥育経営が分離いたしておりますが、牛肉輸入自由化後の肉用牛経営を安定させるためには、既に定着いたしております地域内一貫生産だけではなく、御指摘のように統一経営内で繁殖肥育を行います経営内一貫生産を普及定着させる必要がございます。
したがいまして、このためこれまで
経営内一貫生産パイロット事業でモデル経営農家を六ヵ所指定をいたしまして、育成いたしたところでございまして、その成果が確認されておりますので、これを実証モデルといたしまして、さらに牛肉自由化に向けまして、広く県下に普及することといたしまして、
経営内一貫生産普及定着化事業を推進していくことといたしておるところでございます。
次に、本県の繁殖牛飼養農家の高齢化に対する対策といたしまして、
地域畜産活性化対策事業を積極的に活用いたしました粗飼料生産、衛生管理、子牛出荷等の共同作業や、また高齢者、婦女子でも容易に取り扱えるように子牛の市場出荷月齢の短縮等を積極的に推進をいたしてきておるところでございます。
今後とも、この事業を継続いたしまして、高齢者でも容易に畜産経営ができるように指導をしてまいることといたしておるところでございます。
肉用子牛生産者補給金制度は、肉用子牛の再生産を確保するための保証基準価格が設定されておりまして、子牛価格がこの保証基準価格を下回った場合は、生産者に対して補給金を補てんするものでございますが、この保証基準価格は肉用子牛の生産条件及び需給事情、その他の経済事情を考慮いたしまして、その再生産を確保することを目的に毎年度決定することとされておりますので、適正な価格に設定されるよう国に対して要望してまいることといたしておるところでございます。
[森 義夫君登壇]
6 ◯森 義夫君 ただいま知事及び農政部長から適切な御答弁をいただきましたが、何といたしましても農業はブランド確立が肝要と思われますので、より一段の御努力をお願いいたします。
畜産についてもるる申し上げておりましたが、特にいい肉をつくるには、何としても種雄牛の造成が肝要であると思われます。思い切った施策を講じていただきたいのであります。
さらに、質問では非常に難しい問題であるかと思いましたので、御要望を申し上げておきたいと思いますが、来年の十月大分県におきまして、全国和牛共進会が開催されることになっております。この共進会においては、各県の和牛改良の進度と品質を競争する場で、五年おきに開催されることになっております。
前回は島根県で開催されましたが、本県から出品した和牛はすべて上位入賞を果たし、本県和牛の実力をいかんなく発揮したのでありますが、本共進会が部門別競争ということもあり、幾つかの部門で僅少差で最優秀賞を逃した部門もあったと聞いております。本県は全国一の和牛資源を有しながら、全部門最優秀賞を獲得できなかったのは、まことに残念であります。来年の共進会においては、ぜひとも全部門、全国一の座を射とめてほしいのであります。
既に二年前から万全の体制で取り組んでおられるとのことでありますが、大きな投資と熱意がなければそう簡単に全国一の座は獲得できないと考えるのであります。共進会といえども優勝劣敗の世界であり、勝者と敗者の差は歴然としており、勝者ははかり知れない知名度を得るのであります。
本県和牛が、名実ともに全国一の座になるチャンス到来の年でもあります。そのためには、県当局を初め関係団体がより一層奮励努力されるよう要望いたしておきます。
次に、水産問題についてお伺いいたしますが、湾岸戦争地域に石油の七〇%を依存している我が国においては、各般にわたる悪影響が懸念されておりますが、幸い漁業においては心配された燃油価格も、現在のところ安定基調にあり、経営的にもさほどの影響を受けていないと思われます。
しかし、漁業は国際漁業規制の一層の強化、近海、沿岸の漁業資源の悪化、養殖魚類の価格の低落など、依然として厳しい現状にあります。
我が国は世界に冠たる水産国であり、その一翼を担っている水産県鹿児島であることを思うとき、本県水産業がこの苦境を乗り切り、その振興を図っていくことは焦眉の問題であり、ますます重要となり、このことが県勢発展の上からも極めて重要なことであると考えます。
もとより言うはやすく、行うは難しいのが世の常であります。冷静、客観的に事態を見詰め、その中から将来の展望と打開策を見出すべきであるとの考えのもとに、これまでの漁業の歴史を総括してみたいと思います。
昭和十一年に四百三十万トンの漁業生産を記録した後、第二次世界大戦によって甚大な影響を受け、昭和二十年には生産量は二百万トンを切るに至っております。
しかし、戦後における食料対策の一環として漁業生産力の振興が図られ、サンフランシスコ平和条約が発効した昭和二十七年には戦前の水準を超え、四百八十万トンに達しました。
その後、公海自由の原則と漁業技術の進展に支えられ、沿岸から沖合へ、沖合から遠洋へと外延的に漁場を拡大し、昭和四十七年には漁業生産量は一千万トンを超えたのであります。
しかしながら、昭和四十八年の第一次石油危機、昭和五十二年からの二百海里時代への突入、五十三年末からの第二次石油危機によって、それまでの広い公海、安価な燃油、魚価の持続的上昇という好条件が失われ、漁業を取り巻く環境は大きく変化してきたところであります。
最近においては、二百海里経済水域を設定している国は百二ヵ国に達し、遠洋漁業は厳しい国際規制の影響を受け、また沿岸、沖合漁業においては資源の減少や小型化などから、適正な資源管理によるつくり育てる漁業の推進や養殖業の確立が急務となっているところであります。
さて、本県の栽培漁業は、昭和四十一年度、国立の日本栽培漁業協会志布志事業場が設置され、クルマエビの放流が開始されたことに端を発し、また県においては昭和四十四年垂水市に垂水増殖センターが設置され、その後年次計画により施設を充実し、昭和五十五年四月、鹿児島県栽培漁業センターとして、新たに発足したのであります。その研究成果は、マダイなど八魚種の量産技術が確立し、また開発研究中の新魚種とあわせ、施設面、技術面においても全国に誇れる水準にあると聞いております。
さらに、昭和六十年には財団法人鹿児島県栽培漁業協会が県、市町村、漁業者団体等の団結協力のもとに設立され、平成元年度には基金造成も終了し、栽培漁業発展の基盤が整ったのであります。
栽培漁業は、本県漁業の振興上大いに期待をされており、栽培漁業協会が中心になって、全県的定着に一層努めていただきたいと思うのであります。
そこで、栽培漁業を定着させるためには、自然の海で放流種苗がいかに生き残り、成魚まで成育するかにかかっていると考えられますが、このことについての取り組み状況についてお伺いするのであります。
次に、本県の魚類養殖業は、昭和三十五年垂水市牛根においてハマチ養殖が始められて以来、魚類養殖に適した水温と静穏域が多いことを背景に、指導機関の熱心な指導と、業者のたゆまぬ努力により、幾多の危機を乗り越えて発展し、ブリについては平成元年度二万七千八百トン、二百五十七億七千五百万円と全国第二位の水揚げを誇っております。
しかしながら、昨年からブリの価格が異常に暴落し、今もって回復の兆しが見えず、生産原価も割り込んでおり、生産者は大変苦しんでいると聞き及んでおりますが、なぜこのような事態となったか。また、今後の見通し、県の対策等についてもお伺いするのであります。
次に、せんだって公表された鹿児島県総合基本計画を見ますと、水産関係につきましては、先ほど述べましたような過去の実績を踏まえ、充実した内容が盛り込まれているものと評価いたしたいと思います。戦略プロジェクトの海洋牧場の建設は、今後資源培養管理型漁業の展開を図るためには不可欠のことと考えます。
また、技術の進展に伴い、水産関係試験研究体制を再編し、水産技術開発センターの設立も時宜を得たものと思います。
活魚流通システムにつきましては、漁業者サイドから申し上げますと沿岸漁業の水揚げの頭打ち、養殖業の発展による養殖業の生産量と種類の増加、輸入魚の増大などからくる魚価低迷の打開策として、また消費者サイドからは鮮度志向やグルメ志向の消費者動向から私用、社用で活魚料理を食べる機会が増加していると言われており、活魚流通には特に力を注いでいただきたいと思うのであります。
そこで、思い浮かぶのは鹿児島の納屋通りでございますが、昭和四十三年に発刊された鹿児島県水産史によりますと、納屋、すなわち魚市場は豊臣時代の末期、大阪夏の陣のころの慶長七年、薩摩藩主島津家久が大竜城から鶴丸城に移城するとともに、今で言う都市計画を実施したのでありますが、このとき御用魚問屋を現在の鹿児島市仲町に許可したことに由来しております。
藩公より賜ったお墨つきによれば、その設立は元和元年九月十八日であります。以来、約四百年以上、鹿児島市における唯一の鮮魚市場として繁栄を続けてきたところでありますが、昭和十年、鹿児島中央卸市場が全国で七番目、九州では最初に開設されて以来、取引の主体は卸売市場に次第に移ったのであります。伝統のある水産物取扱店は四十年代までにぎわいが続いたのでありますが、現在は納屋通りには乾物屋が二店舗あるにすぎません。
私は昨年十月、静岡県の焼津さかなセンターを視察いたしました。その概要について申し上げますと、社名が株式会社焼津水産振興センター、設立が五十八年十一月、資本金二億七千万円、出資団体二十一団体であり、焼津市、水産団体、金融機関、観光機関等が出資しております。
施設規模は敷地二万五千五百平方メートル、建物は鉄骨平屋一部二階建てで一万一千五百平方メートルで、その構成はセンター棟、魚食普及棟、サービス棟からなり、駐車場の収容能力は乗用車六百台、バス二十五台であります。
営業品目は、鮮魚、塩乾魚、水産練り製品など、水産物全般はもちろん、魚介類、青果など、一般食品等のほか、展示コーナー、一千席の食堂も整備されています。
さらに、さかなセンター中庭はイベント広場になっており、魚の競り市を初め、料理教室、魚加工の実演、マグロの解体ショー、魚のパネル展など、生活習慣に合わせた企画でお客様が見て、聞いて、触れて参加し、楽しむ各種イベントが行われております。
また、さかなセンターの実績ですが、平成元年度は来店客数約二百二十二万人、売上高約五十四億円、このうち水産物は約二十五億円、駐車場利用約五十五万台、うちバス二万台、料理講習会開催十六回、参加人員五百六十人という数字から見て、大変なにぎわいを呈していることが御理解いただけると思います。
私は、昔の納屋通りのにぎわいを思い浮かべながら、鹿児島でもぜひこのような施設を建設し、本県水産業の活性化につなげたいと思ったところであります。
そこで、戦略プロジェクトの活魚流通システムの整備でありますが、拠点的産地に活魚流通センターと「おさかなセンター」を一体的に整備し、鹿児島市に大規模なフィッシャーマンズワーフを整備するとしていますが、「おさかなセンター」とフィッシャーマンズワーフの整備の進め方について、具体的に構想はこれからだと思いますが、その基本的考え方をお伺いし、さらに水産物全体の流通対策をどのように進めるのか。それを指導すべき県の体制はどのように整備していくのか、お伺いするのであります。
最後に、総合基本計画に基づき、諸施策を進めるに当たって、その推進役となるのは、やはり地域漁業の中核である漁業協同組合であり、これが強力な指導力を発揮して、取り組むことが最も肝要なことかと考えます。
そこで、漁協が中心となった漁業の振興や漁村の活性化を図るため、県としてはどのような施策を講じようとしているのか、お伺いするのであります。
[知事土屋佳照君登壇]
7 ◯知事(土屋佳照君)御承知のように消費者ニーズが多様化します中で、水産物につきましても安全で、高鮮度のものが求められるようになり、また地方の特産的なものへの関心が高まってまいっております。
このような動向に対処して、これまでも県内各地域の漁業基地におきまして、冷凍冷蔵施設とか、保冷車など、輸送施設の整備を行ってまいっていることは、御承知のとおりでございます。
今後とも消費動向に即応できるよう、高鮮度のものを迅速に流通できる体制の整備を進めてまいりたいと思っております。
また、近年、需要の増加しつつあります活魚につきましては、現在実施中の活魚流通に関する調査を踏まえまして、県内各地に蓄養施設を整備し、また阿久根とか、枕崎、串木野などの拠点的な漁業基地に県外出荷にも対応できる活魚流通施設と、消費者ニーズにこたえられる「おさかなセンター」を逐次整備をしていく考えてございます。
鹿児島地域におけるフィッシャーマンズワーフにつきましては、ただいま納屋通りの由来などにつきましてもいろいろお話を伺いましたし、私も数年前、サンフランシスコで、そういう地域を見学をしたこともあるのでございまして、いろんな考え方がございます。今後いろいろと整備をする過程におきまして、その前から具体的な面について関係方面といろいろ議論をしながら調整して、いいものをつくりたいと、こう思っておるところでございます。
これもまたウォーターフロントの整備の一環としてやっていきたいと思っておるところでございまして、県民はもちろんでございますが、観光客にも親しみを持っていただけるような施設として整備をしていきたいと考えておるところでございます。
このような水産物流通対策の充実に合わせまして、本県の水産物のブランドを確立しますために、これまで以上に新製品の開発とか、宣伝、また品評会の開催などを実施していきたいと思っております。
さらに今後、消費の多様化や情報化の進展に迅速に対応できる指導体制の充実強化ということも、ぜひ考えていきたいと思っております。
8 ◯林務水産部長(有水弘明君)まず、放流種苗の保護、育成対策等についてでありますが、種苗放流に当たりましては、生存率を高めるために中間育成施設において稚魚を一定期間育成し、できるだけ大型の種苗を放流するよう指導しているところであります。
また、生育の場として計画的に保育礁や魚礁を設置し、放流魚が定着しやすい環境づくりに努めております。
さらに、成長段階にある放流魚の保護といたしましては、漁業調整規則や漁業調整委員会指示による漁獲サイズの制限、禁漁期間の設定、漁具、漁法の規制等のほか、漁協に対しましても自主的な資源管理を指導いたしますとともに、遊漁者に対しましても周知に努めているところであります。
今後とも放流効果を高める努力をしながら、栽培漁業の振興に取り組んでまいる考えてあります。
次に、養殖ブリの価格についてでありますが、昨年から低迷している原因は、秋から日本海での天然ブリが豊漁であったことや、全国的な養殖ブリの生産過剰により需給のバランスが崩れたためと言われております。
今後の魚価の見通しは不透明でありますが、えさのマイワシやサバ資源が減少傾向にあると言われており、えさ代等の値上がりによって、今後の養殖経営はさらに厳しくなることが予想されているところであります。
県といたしましては、県かん水養魚協会や各養殖漁協に対しまして、適正な養殖尾数の遵守による市場性の高い高品質の魚づくりや、トラフグ、マダイ等への転換等について指導を強めますとともに、養殖ブリの消費拡大策についても、さらに積極的に取り組んでまいる考えであります。
次に、漁協、漁村の活性化についてであります。
水産業をめぐる諸情勢は、依然として厳しいものがありますものの、近年漁村においてはつくり育てる漁業への積極的な取り組みが見られ、また増大する海洋性レクリエーションヘも積極的に対応しようとする動きも生じてきているところであります。
こうした動向に即応しまして、平成三年度から新たにいきいき漁村づくり推進事業を実施しまして、漁業協同組合が中心となった活力ある漁村づくりを進めることとして、所要の予算をお願いしているところであります。
具体的には、漁協がみずから漁協、漁村の活性化プランを策定し、これに基づく種苗放流や漁場管理等の海づくり、漁村環境の整備、後継者育成等について、県が各種の補助事業等を組み合わせながら効果的に支援しますとともに、漁協、漁村の活性化に中心的な役割を果たす人材を育成することとしております。
県としては、これからも引き続き漁協の活性化を促し、水産業の振興につなげるように努めていく考えであります。
[森 義夫君登壇]
9 ◯森 義夫君 水産の問題については、いろいろと御答弁をいただきました。特に知事さん、静岡県の焼津のようにひとつ鹿児島もやろうじゃございませんか。
私は行政視察の中で、二町県議とも一緒でございましたが、その中で串木野の漁業者の方々、鹿児島県の漁業者の方々がすべてここに魚を卸していらっしゃるんだと、何で鹿児島でそれをやれないのだろうかということを、そのときにも話をいたしておきました。観光を結びつけた昨年度は「翔ぶが如く」で非常にたくさんの観光客もお見えになりましたけれども、こういうことをひとつ今後どんなことがあってもひとつやっていただきたいというふうに御要望申し上げまして、私の質問を終わらせていただきます。(拍手)
10 ◯議長(五領和男君)次は、浜田みのる君に発言を許可いたします。
[浜田みのる君登壇](拍手)
11 ◯浜田みのる君 きょうの朝刊が一斉に湾岸戦争終結で紙面を埋め尽くしておりました。私ども社会党県議団は三日前に、この議会で湾岸戦争全面停止の決議を上げようではないかということを持ちかけましたが、局面の急激な変化もありまして、その提案が空振りに終わりました。しかし、そのことを今、大変うれしく思っている次第であります。
それにいたしましても、東西緊張緩和の中で新しい国際秩序を求めようという動きの中で、銃口の中からだけしか新しい秩序は生まれないのかと思いますと、まことに残念でなりません。孫子がその兵法の中で、戦わずに相手を降伏させるのが最上の兵法であると述べておりますけれども、少なくともこうした新しい国際秩序というものが、人間の英知によって、銃口を通さずに確立をされてほしいものだということを心から思う次第であります。
さて、私は、改選期を前にいたしました当議会におきまして、過去、任期中の一応の棚卸しをした上で、新しい展開を図る意味合いにおきまして、幾つかの問題につきまして質問をしてまいりたいと思います。
まず第一点は、県総合基本計画が第一期実施計画の初年度を迎えておるわけでありますが、その中で、今後その実施計画が見事に花を咲かせることを期待をするわけでありますけれども、この実施計画の実現の方策の中に、県民の理解と協力、民間活力の活用と並んで、国や市町村との連携など六つの事項を挙げまして、それらの推進よろしくその成果を図るということに書いておりますけれども、その中で市町村との連携についてでありますが、住民生活にかかわる分野の事務の市町村への移譲について、私は、昭和五十四年初当選、この壇上に初めて立ったそのときに、住民の身近な事務事業をこれを可能な限り市町村に移譲をして、住民の利便と地方自治の分権化を進めるべきであるということを知事にただしてまいりました。もし県に具体的な構想なり準備があれば明らかにしてほしいということをただしたのでありますが、当時の鎌田知事は、住民に身近な許認可事務の市町村への移譲は基本的に必要であり、他県の実情等も調査の上、人事課や地方課が中心となって、町村会や市長会あるいは市町村議長会とも諮って協議をしながら、財源及び人的問題も含めて進めていく旨の答弁をされたのであります。
それから四年経過後の昭和五十八年、第一回県議会におきまして、その後の経緯と成果をただしましたところ、鎌田知事は、昭和五十五年と五十六年度に、鹿児島市に対しまして五項目十六件について権限の移譲をしてまいりましたけれども、率直に言って中身のないものばかりて、市町村側から見ると毒にも薬にもならないものばかりで、財源上も、人的にも裏づけもないもので、不満だけが市町村に残ったと考えております。市町村の自治能力を強化するというスタイル、見せかけだけで実効のないものでありましたと、こういうふうに鎌田知事は述べておられるのであります。そして本当に中身のあるものにしようとするならば、法律的にも事務配分を明確にする必要があると、こういうふうに述べておられます。
国の権限を地方への移譲、そして必置規定の見直しなどについては、関係法律の整備に手をつけておるようでありますけれども、それは比較的規模の大きい都市を事実上の政令都市化するねらいを持ったもので、ここで言う許認可事務の市町村移譲とやや質の違うものではなかろうかと考えております。土屋知事が総合基本計画の実現の方策として重視されておりますところの事務事業の市町村移譲の検討とは、一体どのような視点に立ってのものなのか、その手順も含めてその進め方を明らかにしていただきたいと存じます。
次に、公共投資の基本的なあり方に関連をしてお伺いをいたします。
経済企画庁が発表いたしました平成二年度の国民生活白書の中には、「人にやさしい豊かな社会」という副題がついております。その中で「豊かさをつくる杜会的消費」と題した項の中に、社会資本からのサービスや福祉サービスのようないわゆる社会的消費の立ちおくれが、我が国において生活の豊かさを実感できない一つの大きな要因となっていると、生産性に見合った社会的消費がなされていないと、まことにその的を得た指摘をしておるのであります。そして生活関連の社会資本に対する不満度の中で、道路や福祉、厚生施設、体育、レクリエーション施設についての不満が高く、特に地方圏においては、人口の減少等によって交通の利便性の悪さや都市的なレクリエーションの不満が高くなっている。また、高齢者や移動制約のある身体障害者が同じ空間の中で自立して生活をしていくための環境整備のおくれが目立っていると指摘をしているのであります。この指摘は、私どもの実感と全く一致したものであり、全く異論のないところであります。
県総合基本計画一期実施計画の中に、「高齢者の福祉増進に快適なまちづくり」というのが計画をされ、段差のない社会構造、また障害者福祉についても、障害者が移動しやすいまちづくりが提唱されております。これらも「人にやさしい豊かな社会」に対する具体的な取り組みとして、その成果を期待をしているものでありますが、国民生活白書の「豊かさをつくる社会的消費を拡大していく」という指摘に対して、知事はどのようにこのことを受けとめておられるかを伺います。
日米構造協議における、今後十年間に四百三十兆円の公共投資を行うというものは、日本の年間八百から九百億ドルに及ぶ多額な貿易黒字を、貧弱な日本の生活関連の公共投資に向けるべきであるという米側の主張の根拠になっておりますが、今後の推移について幾つかの懸念があるわけであります。その一つは、貿易黒字が、一週間ほどの新聞報道によりますと、九〇年度は大幅にこれが減少いたしまして、前年度に比べて一挙に四割方減少、三百五十八億ドルで、湾岸戦争の追加支援九十億ドルがこれに加わりますというと、九一年度の経常黒字は、政府の実績見込みよりも大幅にこれを下回ることが予想されていると言われております。また経常黒字の国民総生産への影響というものが四・五%ほど見込まれておったものが、これが一%弱に落ち込むとも言われております。「人にやさしい豊かな社会づくり」は大きな影を落としていると言わざるを得ません。
いま一つの懸念は、公共投資の基本的な受けとめ方についてであります。日米構造協議の最終取り決めのときに日本側が、日本の公共事業費の水準は他の国と比べて高いという反論をした点であります。私はこの日本側の反論がそのまま行政執行側の中にもあるのではないかということを大変懸念をするのであります。なるほど調べてみますというと、アメリカ、イギリス、フランスなどに比べまして、日本の公共事業の投資額は決して見劣りをするものとはなっておりません。しかしながら、下水道や公園、福利厚生、文化、スポーツ、レクリエーション、あるいは住宅の構造や床面積などを比べてみますというと、はるかに日本の経済力に比べてその豊かさを反映したものとなっていないのも事実であります。そうしてみますというと、公共投資そのものが、そのあり方が大きく問われていることを私どもは重視しなければなりません。
今後十年間の四百三十兆円の公共投資というものが、大体年間五・五%の予算の伸びで達成されるということになるとするならば、この四百三十兆円を各省庁の従来のような公共事業の分捕り合戦の中にこれを埋没させていたのでは、アメリカ側の注文にもさることながら、私どもの生活実感の中にもその公共投資は生きてこないものというふうに考えるのであります。そういう意味から、今後の社会公共投資のあり方についての知事の基本的な姿勢を伺っておきたいというふうに思うのであります。
具体的な一つの進め方として、幾つか申し上げてみたいと思いますが、第一点は、豊かさを実感するのはこれは私ども市民であります。そういう意味から、本当に豊かさを実感できる社会資本をつくっていくためには、社会資本の整備について市民か直接参加をするのでなければ、やったよやったよと言ったって私どもが実感できないとするならば、それは依然として従来の公共投資のあり方を踏襲しているものと言わざるを得ないのでありますから、そういった意味で、ぜひ市民参加の社会資本投資の仕組みというものを考えてみる必要があるように思います。アメリカやフランスなど先進国にはそのような仕組みがつくられていると言われておりますので、ぜひともそういう立場の検討が必要と思いますが、知事はどのようにお考えでありましょうか。豊かさをつくる最前線にある地方自治として、市民参加の社会資本投資のあり方を考える意味でぜひともお伺いをしたいと思います。
第二点といたしまして、「すこやかな郷土、ゆとりの文化圏域」を目指すという知事の県土づくりの立場から、JRやバスなど大量の公共交通機関と自転車や車いすが完全にリンクした形の構造を考えてみる必要がありはしないかという提案であります。これは汽車やバスと自転車が完全にリンクをいたしますというと、通勤・通学はどうかと思いますが、私どもの小旅行について、あの駅までは行っても、あれから先にはバスもない、タクシーもちょっと拾えない、そういう地域が地方にはいっぱいあるわけでありまして、汽車やバスの中に簡単に自転車を持ち込んで、それがリンクした形の小旅行であるならば大変便利じゃなかろうかと思うんです。既にフランスやアメリカなどでは、地下鉄や高速鉄道に自転車が自由に持ち込める仕組みが考えられているとも言われております。ぜひそうした豊かな県土づくりを目指す立場から、この際、国鉄も解体をされましてJRになりました。民間経営になっております。第三セクターも間もなく始まろうという動きになっておりますが、そういう地域特有の交通機関のあり方を検討する考えはないか、これも知事にお伺いを申し上げる次第であります。
次に、日米構造協議に関する具体化に向けまして、公共投資基本計画で、特に日常生活に密接に関連をした生活環境、文化機能にかかわる部門の割合を、過去十年間の五〇%台から六〇%にこれを引き上げていくという。特に下水道整備のおくれた中小市町村におきまして積極的にこれを進めて、十年後の二〇〇〇年には総人口の普及率を七割程度に持っていくという計画、そして都市公園を住民一人当たり十平米程度に持っていくために、地方公共団体が地域に密接に関連する社会資本の整備に自律的に取り組み、その役割を果たすことが重要であると、この公共投資の基本計画の中にうたっているのであります。県総合基本計画の第一期実施計画の発展的取り組み、その推進に当たって、知事はこのことをどのように受けとめておられるかをお伺いをいたします。
次に、湾奥下水道事業の推進について改めて質問をいたします。
このことは湾奥地域の都市化に伴う要請という立場と、いま一つは閉鎖海域における錦江湾の水質保全という県民的な課題としての立場からただしているものであります。県総合基本計画の十四戦略の一つにあります錦江湾ウォーターフロントの成否というのは、美しい海あってのことでありまして、第一期実施計画の中に新鹿児島湾ブルー計画と公共下水道の整備によって汚染防止をこの中に取り上げて、特に国分・隼人と加治木・姶良地域を特筆されているのは、まことに当を得たものと評価をしております。
この際、私が強調したいのは、昭和五十二年湾奥流域別下水道整備総合計画が県によって策定をされて以来、地元の対応にも幾多の変化もありましたが、その間に昭和五十六年、人口三万以上を対象とした第一種流域下水道方式が制度化をされるという状況もありました。一つは、当該地元の理解と認識が整っていないという地元事情が事業推進の妨げになっているという鎌田知事の見解もお聞きをしております。しかし、私が地元関係者の意向を伺う限り、日々進む錦江湾の汚染に対する懸念と生活環境の近代化を求める声は日々に高まっております。その証拠に、合併浄化槽の設置が、特に姶良町で見てみますというと、昭和六十一年度に二件だけであったものが、六十二年は二十六件、六十三年が九十二件、平成元年が百一件と年々増加をしていることから見ましても、もはや下水道工事は待てないというほどに地元条件は熟していると考えます。
建設省も、一九八九年度の普及率四二%を、来年度からスタートする第七次下水道整備五ヵ年計画で、全体の普及率を五四%に持っていくという方針を立てておりまして、自治省も、今後五年間の下水道普及率の一定割合を見込んでいる市町村には一定の交付税措置をするなど、今までにない積極的な姿勢をあらわしておるのであります。もとより事業主体は市町村でありますが、財政力や技術力の弱い市町村にとって県の積極的な支援を求める声が強いのであります。県総合基本計画に沿った下水道整備計画の目標は一体どのように置かれているのか、知事の決意を含めてお伺いをいたします。
次に、鹿児島保養院の全面改築の工事が今進められておるところでありますが、診療科目も含めまして、全体構想についてお伺いをいたします。
当保養院の整備計画の概要によりますと、「県下唯一の公立精神病院であり、本県における精神医療の中核的病院として、精神障害の予防、治療、リハビリテーションに至る一貫した精神医療の確保を図る」と書いてあります。そしてその中には、「現在果たしている基本的役割のさらなる充実と老年期精神障害者を対象とした老人病棟によって専門的治療を行うこと」となっております。痴呆性老人を対象にした専門的治療を私もたびたびこの壇上から要請をしてまいりましたので、老人病棟が増設されることは喜んでおりますけれども、このことは「従来の基本的な役割の充実」となっている点からいたしまして、県下唯一の公立精神病院としての中核的病院としての性格がいま一つ明確でありません。本県は、人口千人当たり患者数は全国一と言われておりまして、鹿児島保養院のベッド数は県下全入院患者の四%弱にすぎません。九十数%の患者さんは民間の精神病院にゆだねている現状でございます。したがって、県立精神病院がその中核的機能を持たなければ、その果たす役割というのはわずかに四%弱にすぎないといってもいいのであります。
私は、精神病院関係者の意見などをもとにしながら、県内精神医療従事者の研修実習の機能とか、あるいは思春期精神障害者や薬害障害など、患者家族の相談事務など、ある意味では採算を度外視した機能ほど重要であることをたびたび今まで申し上げてまいりました。鎌田知事もそのことの重要性を認めて、鹿大など専門家の意見を聞いて、時代に即応した病院として機能を発揮できるように整備をしていくという旨の答弁をされてきたのであります。そうした意味で、どのような機能によって中核的病院としての性格を明らかにされるのかをお伺いをいたします。
いま一つは、当病院の入院患者数三百余名のうち四二%弱の人が十年以上入院を続けておられます。最も長い人は四十三年にもなっております。したがって、これらの人々にとりましては、当病院は治療の場所であると同時に生活の場所でもあるわけです。可能な限り院内開放の措置によって治療と生活の一体化を図ることが必要と考えるのでありますが、ただし、この開放につきましては、その周辺に住む者の一人といたしまして、それなりのマンパワーが整備をされないと、いたずらに開放というわけにもいかないのであります。
それともう一つは、こうした長期入院者の多くは、身体的合併症を併発されている方が非常に多いのであります。したがって、内科医の常勤体制を望む声が大変高いのであります。そうした病院の特殊性から、内科医の常勤体制を敷いてはどうかと思うのでありますが、それに対する見解もお伺いをいたします。
次に、農政について、個別具体的な政策はさておきまして、極めてグローバルな立場から二、三点お伺いをいたします。
それは去る一月の五日に九州農政局の調査として発表をされましたものの中に、九州七県の農業集落が、七〇年度に二万四千六百五十二集落、八〇年度の調査では二万四千四百三十八の集落、それから九〇年には二万三千七百十で、この十年間で前回調査の三倍にわたる七百二十八の集落が崩壊をしたと述べております。それによりますというと、長崎県が最も多くて三百六十六、それに次いて本県が百四十八の集落となっておりまして、他の五つの県に比べまして大きな数に上っております。この集落崩壊とは一体どのような状況を指すのか、またこの集落崩壊の進行の過程は一体どのような過程をたどっているのか、その対策を考えねばならないと思うのであります。また県が三大運動として挙げております農村振興運動の成果との関係は一体どのように考えたらいいのか、そのことも含めて伺いたいと存じます。
次に、県総合基本計画第一期実施計画の構造政策の推進という欄に、「高齢農家、兼業農家等を含めた集落、地区ぐるみの経営規模の拡大を促進する集落農場の育成を図る」となっているのでありますが、この従来農業構造改善の中に、担い手農家を中心とした第一種兼業農家などを含めた高齢農家等から成る地域農業集団の育成という方針はありましたけれども、集落農場育成というのは一体どのようなモデルを念頭に置いたものなのか、その育成と手順についてお示しをいただきたいと思います。
昭和五十七年に県の農業生産計画が立てられましたときに、昭和六十五年、つまり昨年になるわけでありますが、昭和六十五年に担い手農家の総致を一五%増の一万七千数戸に設定をしております。そして五十七年時点で新規就農者の三八%が二十代から三十代のUターン者であって、後継者対策にもかなりの見込みがあることを前提に計画が立てられておりますが、それから十年経過いたしました今日、その規模拡大、生産性向上についての経過とその後の推移についてお尋ねをいたします。
次に、本県産業の中核的な役割を果たしている中小企業の実態を知る上で、下請企業の受発注について、県中小企業振興公社の資料によって調べてまいりましたが、特定の親企業に九〇%から一〇〇%依存をしているという企業が、繊維関係では六四・四%、電気関係で六五・四%、精密機械で六六・七%となっております。これらのうち繊維関係の六五・四%が、親企業との間に基本的な契約を交わさずに操業をしております。そうして基本的な契約がありませんから、当然下請の受注単価というものも親企業の指し値、言い値で決まっているというのが過半数を占めているのであります。
そして当然ながら、その受注単価は前年と変わらないというものが六一・五%に上っておるわけでありまして、繊維関係の場合は、材料も八四・六%が親企業から材料を持ってきて、そして親企業の言い値、指し値で値段を決めて契約なしに納めていると、こういう関係になっておるのでありまして、完全な子会社的関係にあることをうかがわしております。電気関係の場合も、特定親企業との下請関係が六五・四%と高い率になっておりまして、下請単価ではやや繊維関係に比べていい条件になっておるものの、それでも親企業の言い値で決まっているのが三五%というふうになっております。自分の会社の言い値を認めてもらっているというのはわずかに一九%となっております。こうした関係を全体を通して見ますというと、受注単価が前年と変わらないというのが全体の八三・三%となっております。そして前年度よりも上昇したというのはわずかに五・六%でございます。
これらの調査を十年前と比較をしてみましたが、基本契約書などの面では若干の改善が見られますけれども、依然として前近代的な下請関係に置かれているのが実情であります。このことは、これらの企業で働く人たちの雇用条件に直接はね返ってくるわけでありまして、高度経済成長の陰にこのような前近代的な下請関係にあることを、私どもは座視するわけにはまいりません。本県産業振興にとりまして極めて重要な状態と私は見ております。そうした意味から、親企業、下請企業に対する今後の対策についてお伺いをしたいと思います。
次に、教育に関して一点だけお伺いをいたします。
昨日の南議員の質問の中で、義務教育の第五次定数改善計画につきましては、国の改善計画に従って改善していく旨の答弁をなされたところであります。したがいまして、四十五人学級を柱とした高校第四次定数改善計画も、同様に九一年度完全に達成されるものと思うのでありますが、教育長の答弁をあえて求めるものであります。
申し上げるまでもなく、先進諸国の学級規模は二十人から三十人となっている実情にあります。第四次改善計画が速やかに達成をされ、高校第五次定数改善へと歩を進めていかなければならないのであります。そしてぜひこれらが現場において定数改善が達成されたという実感が持てるような定数配置をしていただきたいものだと考えますが、教育長の答弁をお願いをいたします。
[知事土屋佳照君登壇]
12 ◯知事(土屋佳照君)身近な住民生活に関する分野で、市町村で行う方が住民サービスの向上につながるような許認可等の事務につきましては、関係市町村へ移譲することが適当であるという基本的な考え方に立ちまして、県としてはこれまでも市町村への権限移譲に取り組んでまいったわけでございます。特に行政改革の一環として、昭和六十年から六十一年にかけて大幅な見直しを行い、その内容についてはいろいろなことがあるかと思いますけれども、その実現を図ってきたことは御承知のとおりでございます。そして権限移護に当たりましては、市町村はもちろん、市長会、町村会とも十分協議を重ね、また財政面でも配慮しながら円滑な移譲に努めてきたと聞いております。
私はかねてから、住民に身近な行政はできるだけ地方公共団体で行うことが望ましいと考えておりまして、そのようなまた現在動きもいろいろあるようでございますけれども、今後とも、国から地方への意味のある権限移譲を国に対して強く求めますとともに、県としては、市町村や関係団体とも協議しながら、権限移譲の可能なものはできるだけ市町村に移譲する方向で検討をしてまいりたいと考えております。今後、総合基本計画を進め、その目標を達成してまいりますためにも、市町村との間の相互協力というのはぜひ必要なことであると思っておりますので、そのためにも役割分担といった点でもう一度よく相談をしながら、そういった点について進めていく必要があるんじゃないかと思っておるところでございます。
次に、我が国における社会資本の整備は、これまでいろいろな分野で努力をされたにもかかわりませず、依然欧米主要国と比べてみましても大変おくれている分野があることも事実でございますし、また国内においても、なお地域間格差が解消されていない状況にございますので、これを是正するための思い切った投資が必要であると認識をいたしております。特に、政治経済の中枢地域から離れております本県などは、いろんな面で後回しにされたといったような恨みを持っておるのでございます。
ともあれ国におきましても、日米構造協議の結果を踏まえて、下水道、住宅など国民の日常生活に密接に関連する施設の整備を重点におきまして、十年間で四百三十兆円に上る公共投資基本計画が策定されたことはもう御承知のとおりでございます。これは国民生活の向上や地域経済の均衡ある発展により、豊かさを実感できる生活を築くという面で、地方の立場からも評価できるものでありますが、同時に、今後、国において事業配分を検討される際は、国民のニーズの変化を的確に把握して、真に必要なものに、そして必要な地域に重点的に配分されるよう柔軟な対応をしていただきたいと考えております。
この公共投資基本計画は、十年にわたる長期の計画であり、毎年の状況の変化に適切に対応しながら進めていくということにされているわけでありますので、現時点における経済情勢や多国籍軍への支援などによって直ちに計画が影響を受けるものとは考えておりません。また総合基本計画の第一期実施計画策定に当たっては、公共事業、県単事業等を含めて三ヵ年の総事業費がどの程度になるかを推計し、それに対応し得る歳入の見通しも立てているわけでございますので、円滑に事業実施ができるものと考えております。ただ、ただいま御指摘のありましたように、常に内外の情勢の変化ということはあるわけでありますので、今後の国内及び県内の景気の動向などを注意深く見守りながら、また住民ニーズの的確な把握に努めながら、情勢の変化に適切に対応して、機動的に県政運営を進めてまいりたいと考えております。
次に、鹿児島湾奥部の国分市と隼人町につきましては、国分・隼人公共下水道として平成元年度から事業に着手し、鋭意整備をされておるところでございます。姶良町と加治木町についても、下水道協議会の設立や基礎調査の実施など指導しているところでございまして、今後とも、早期に事業着手できるようさらに指導を続けてまいりたいと思っております。
ただ、御承知のように、公共下水道の事業主体はもう市町村でございまして、そういった形で役割分担とそれに応じた財源配分の体系というのが一応決まっておるわけでございます。そういった意昧で、県が一般的に財政的な援助を行うことは、現在では困難であると言わざるを得ないわけでございますが、国庫補助対象事業の拡大等について積極的に努力しながら、今後この事業が円滑に推進されるためにはどういった問題があるかといったようなことなどについても研究を進めてみたいと思っております。
また、鹿児島保養院は、施設の老朽化に対応するために、現在全面的な改築を進めているところでございますが、これを契機に、近年の精神科医療の動向などを踏まえまして、病棟管理の開放化やリハビリテーション療法の充実を図りますとともに、老年期精神障害者いわゆる老人痴呆などを対象とした専門的治療を行いますなど、本県における精神医療の中核的な病院にふさわしい機能の充実を図ってまいりたいと考えております。
13 ◯企画部長(中村利雄君)JRとかバスなどの大量公共輸送機関の輸送サービスの改善につきましては、鹿児島都市圏交通対策協議会において従来から、交通ターミナルの整備とか車両の改良、運行ダイヤの改善などについて協議、検討を行っているところでございますが、乗り継ぎの改善につきましては、利用者の利便性の向上を図る上で非常に重要な問題であると考えておりまして、乗り継ぎ施設でございます交通ターミナルの整備とか鉄道駅前へのバスの乗り入れの促進とか、駐輪場の整備促進など、乗り継ぎの利便性の向上を図る方策について鋭意検討をしているところでございます。
御質問の自転車や車いすを車内に持ち込み輸送するシステムにつきましては、乗降施設の問題とか車両などの構造上の問題、あるいは乗降時間の制約など困難な問題もあると考えられますので、いずれにしましてもより利用しやすい公共交通機関のあり方を、関係機関とも連携をとりながら研究してまいりたいと考えております。
14 ◯保健環境部長(加藤恒生君)鹿児島保養院関係の御質問でございますが、入院中心の治療体制から地域におけるケア体制という、近年の精神科医療の流れを踏まえまして、鹿児島保養院では、患者ができる限り通院治療を受けられますよう努力しておりまして、今後ともこのような方針で運営していくこととしております。このため、患者の開放処遇を一層進めますほか、従来分散しておりました陶芸室、木や竹の工作を行います木竹工室、クラフト室等をリハビリテーション棟にまとめまして、新たに視聴覚、レクリエーション室を設置する等、リハビリテーション機能の充実を図り、社会復帰を促進していく考えでございます。
また、高齢化に対応できますよう、レクリエーション種目の充実を図りますため、ゲートボール場等の整備を行いますほか、よりよい環境の中で治療に専念できますよう、病棟におけるデイルームの拡充や和風庭園、散歩道、流水を利用いたしました前庭、緑地等の整備を計画しているところでございます。
現在、鹿児島保養院では、内科合併症に対応いたしますため、鹿児島大学医学部からの派遺医及び他の医療機関での受診等で対応をしているところでございます。今後の内科の診療体制の整備につきましては、患者の動向を踏まえながら検討していきたいと考えております。
15 ◯農政部長(山中 正君)先般発表されました農林業センサスの農業集落調査の変動については、幾つかの要因がございますが、その主なものを挙げて見ますと、まず中山間地域におきまして、高齢化等により離農したり、農家数が減少したことによりまして、農業集落として取り扱われなくなったこと、また市街化等によります産業構造の変化によりまして、兼業農家が他産業に移行するなどいたしまして、農業集落として取り扱われなくなったこと、さらに集落の合併が行われたこと、こういったことが減少の理由でございまして、これらは社会的な意味での集落の崩壊とは必ずしも言えないと思われます。県といたしましては、社会的集団としての農業集落の維持は大切なことだと考えております。今後とも、農村振興運動を通じまして、農家、非農家の地域住民が一体となって集落の話し合い活動を基本に、知恵と力を結集しながら、農業の振興と農村地域の活性化を図っていけるように努めてまいることといたしておるところでございます。
次に、近年の農業情勢のもとでは、経営規模の拡大によります生産コストの低減と生産性の向上によります農業経営の体質強化を図ることが必要でございます。このため集落内の農地、労働力、機械、施設等を有機的に活用をいたしまして、中核農家を中心として、高齢者、兼業農家等を幅広く含めました集落ぐるみの生産組織化を進めておるところでございます。集落農場の育成に当たりましては、農作業受委託や農地の流動化、機械の共同利用、地域輪作農法、いわゆるブロックローテーションと言っておるものでございますか、これらの導入など、集落の話し合いによりまして、地域の実情に応じた取り組みを進める方向で努力をいたしておるところでございまして、今後、この集落営農方式を広く県下に普及するために、平成三年度からは新しく集落農場普及推進事業を実施するなどいたしまして、積極的に推進をしてまいることといたしておるところでございます。
次に、昭和五十七年度に策定をいたしました県農業生産の目標では、平成二年度の担い手農家数を一万七千三百四十戸といたしまして、これまで担い手農家育成対策事業や低コスト高品質農業確立指導事業等を通じまして、育成に努めたところでございますが、平成元年度は一万五千四十三戸ということでございまして、その達成率は八七%となっておるところでございます。このうち地域の勤労者世帯の年間所得以上の農業所得を上げておる農家は、昭和五十五年度の五千八百三十戸に対しまして、六千三百五十戸と増加を見ておるところでございます。未達成の原因は、近年の他産業の好景気によります後継者不足、農産物価格の低迷と農産物輸入自由化の振興、農業従事者の高齢化など、農業・農村を取り巻く厳しい環境などによるものと考えておるところでございます。
今後は、従来から実施をいたしております農業経営総合指導活動事業や農業経営体質強化特別事業などを進めますとともに、平成三年度から、コスト低減と所得増大を図るための国際化対応実践農家育成事業、地域ぐるみで就農条件づくりに取り組みます農業後継者就農促進対策事業、さらに財団法人農業後継者育成基金協会が行います就農支援対策事業等を活用いたしまして、すぐれた農業後継者と企業的感覚を備えた担い手農家の確保に努めてまいることといたしておるところでございます。
16 ◯商工労働部長(橋本幸雄君)下請取引につきましては、従来からの取引慣行等もございまして、必ずしも親企業との間で基本契約書を取り交わさないなどの例が、全国的にも見られるところでございます。このため本県におきましては、県中小企業振興公社を通じまして、親企業及び下請企業の両者を対象といたしました、下請取引適正化推進講習会や基本契約書普及講習会の開催、個別巡回指導などを実施いたしまして、下請取引の適正化が図られますようにいろいろな事業を推進しているところでございます。県としましては、今後とも、中小企業振興公社や商工関係団体と緊密な連携を図りながら、下請取引の公正化と下請企業の利益保護に努めてまいりたいと考えております。
17 ◯教育長(大田 務君)高等学校の教職員定数につきましては、国の第四次定数改善計画が来年度完成することに対応しまして、今回、県学校職員定数条例の改正をお願いしておるところでございます。
なお、教職員の配置に当たりましては、いわゆる標準法を基準にして行うこととしておりますが、今後、長期にわたる生徒の減少傾向が続くことや毎年の計画的な教職員の採用ができるようにするため、これらを総合的に勘案してまいることにしております。
[浜田みのる君登壇]
18 ◯浜田みのる君 公共投資の問題につきましては、ぜひ従来の公共投資に関する視点を切りかえて、そうでなければ、アメリカ側から注文をつけられた、まことに一国家としては非常に恥ずかしい注文を受けているわけでありますが、これはぜひとも地方自治体がまず視点を大幅に変えて、この公共投資のあり方を問わなくちゃならんと、こういうふうに考える次第でありますが、これにつきましては、私どもも折に触れて、そういう視点からの注文もどんどんつけていきたいと、こう考えております。
それから、貿易黒字の関係あるいは湾岸基金の関係などで、大幅に外貨が不足をするという状況になってきつつあるわけでありますけれども、けさのラジオ報道を聞いておりますというと、あの湾岸戦争によって破壊された後の復興特需が今しきりに話題になっていると、こういうわけで、甚だ壊した後の特需に目をやるというのはまことにさもしい話でありますけれども、少なくともそういうものが一体今後の日本経済にどういう影響を持つのか、私どもも大変注目をしておく必要があるだろうと考えておるわけであります。
なお、先ほど汽車、バスの自転車等とのリンクの関係を申し上げましたが、これは私が言うのではなくて、国民生活白書、これは経済企画庁が発表したものの中に、国民のニーズの変化に伴って、これに柔軟に対応した公共投資の配分を行っていく必要があると、こう書いておりまして、その中に、地方自治体では都市バスの低床化など交通機関などの整備の動きとともに、東京都における福祉のまちづくり整備指針のように、不特定多数の人が利用する施設についても、すべての人が利用しやすいようなまちづくりを目指す動きがあると、こういうふうに経済企画庁が、地方自治体がそういう新しい住民のニーズを受けての動きを始めていることを報道しております。私は、先ほど乗り継ぎの利便性などを図っていきますという答弁がありまして、ややとんでもない提案だと言わんばかりの、今後研究していくというお話のようでありますけれども、少しこういう問題も、高齢化の進んだ鹿児島ならではの発想としてひとつ真剣に考えてみてはどうかと、こういうことを思うわけであります。
なお、保養院の問題につきましては、いろいろ御回答がありましたが、少なくとも県下屈指の精神病院という立場では、他の民間の精神病院がまねることのできないような視点に立って、しかもほかの大部分の精神病院にとりまして何らかの役割を果たすような中核的な性格というものをぜひ備えておいていただきたいと、こういうふうに思います。それは必ずしも施設設備に限りませんで、今後の運用の面でできることもあるわけでありますから、ぜひひとつ工夫をしてもらうようにお願いを申し上げておきます。
それから、下請企業の関係につきましては、長年の慣行というふうにおっしゃいますけれども、悪しき慣行はこれは改めなくちゃいかんと思うんですよ。これはこの結果がいい環境になっておればそれでいいと思うんです。しかし、完全に親企業に隷属した形の下請になっているということを、私は数字の上で指摘をしたわけですね。前年に比べて全然変わらないと、悪くなったという数もたくさん報告されておるわけでありますから、それは悪しき慣行は直ちに改めて、そして近代的な受発注の関係をつくっていくというのが、鹿児島県の産業振興の基本であろうかと思うんです。
教育問題につきましては、教育長の答弁は当を得たものとしてこれを評価をいたします。
ただ、この際、知事にお願いを申し上げておきたいと思います。小学校や中学校の場合は、義務教育費国庫負担法によりまして、裏打ちがされておるわけであります。しかしながら、高等学校の場合は、地方交付金、交付税として措置をされておりまして、これが悪く言いますと、他の面に流用ができるような仕組みになっております。それだけに特に財政当局、知事の教育に対する御熱意が特に問われるわけでありますので、ぜひともその辺の御配慮を特段にお願いを申し上げたいと、こう思う次第であります。
なお、教育長の方では、そういう国の改善計画に沿って改善をされるのであるならば、現場の人たちが改善をされたというのが実感できるような措置をしなければ、現場ではいろいろと教育の困難な問題があるわけでありますから、現場が実感できるような改善策をぜひともおとりいただくようお願いを申し上げたいと思います。
先ほど日米構造協議の中で申し上げましたが、私どもの中には、ある陳情をいたしますというと、それはアメリカ政府に陳情した方が早道ではないかという皮肉を言う人もあります。しかし、私どもはそういう皮肉を決して見逃しちゃならないと思うんです。公共投資につきましては、いやしくもアメリカから注文を受けまして、従来の一・六倍にわたる公共投資をしようとしているわけでありますから、このあり方というのは私どもは問わたくちゃならんと、このように考える次第であります。
一期四年間の任期を終えるに当たりまして、私は、棚卸しをする観点からいろいろと申し上げてまいりましたが、ぜひともこの任期の後、さらに私のこの壇上でのいろんな活躍ができることを念頭におきながら、私の一般質問を終わりたいと存じます。
ありがとうございました。(拍手)
19 ◯議長(五領和男君)ここで、休憩いたします。
再開は、おおむね午後一時二十分からといたします。
午後零時 二分休憩
─────────────
午後一時二十分開議
20 ◯副議長(鶴田辰巳君)再開いたします。
元山春光君に発言を許可いたします。
[元山春光君登壇](拍手)
21 ◯元山春光君 県総合基本計画に関連いたしまして、知事の御決意を初めといたしまして、若干質問をお伺いをいたします。
平成十三年を目標年次として、本計画策定に当たられました知事初め関係部、課長ほか関係各位の御労苦に、心から敬意を表するものであります。
二兆三千九百億円余の事業がドカンと提出されておるわけでありますが、財源区分、負担率などはどのようになるのか、その内容を伺うことにいたしておりましたが、先般来の答弁や記述されておりますように、国、県、市町村、公社、公団が事業主体になるものや民間が公的機関などとの関連において本事業が推進されるのもあるため、的確、確定的な財源負担区分は明確にできない状態のようであります。したがいまして、私は、ここでは財源の確保に的確に配慮され、本事業計画が所期の目的どおり達成されますよう強く要請をいたしておきますが、本事業推進に取り組まれる知事の姿勢と決意のほどをお聞かせいただきたいと思うのであります。
次に、若干ローカル的な問題でありますが、地域別振興の中で、離島問題に触れさせていただきます。
我が党代表質問でもなされました熊毛地区の鹿児島サン・オーシャン・リゾート構想や奄美のリゾート構想の中で、大都市圏等との航空ネットワークの充実について伺うものであります。
種子島空港は、現在YS路線が鹿児島―大阪間で運航されておりますが、ジェット化がされた場合、鹿児島空港の受け入れ態勢は可能でありましょうが、大阪空港の離着陸の枠の確保が問題であると思うのであります。これは私どもも経験をいたしているわけでありますが、このことにつきましては、十分に知事初め執行部の皆さん、そして関係の市町とも連絡のもとに、ジェット化とともに大阪空港での受け入れの態勢を確立されるよう御努力方をお願いをいたすものであります。
いま一点は、東京―奄美路線開設の質問もなされましたが、私はこの際、名古屋―奄美間の路線開設についても一考すべきだと思うのであります。その必要性につきましては、後刻申し上げますが、何と申しましても、遠隔の地でありまして、物流や人的入り込みを短時間において増大が可能であり、また経済活動の活発化も期待されるのであります。新年度はいよいよ基本計画実施初年度を迎えているだけに、でっかい夢として実現へ向けての御努力方をお願いしたいものでありますが、いかがでしょう。
次に、奄美リゾート構想について伺います。
基本計画では、奄美の観光開発は、海洋性などにすぐれた自然を生かし、海に親しむマリンスポーツ施設やリゾートなどを基本方向としております。おおよそ観光開発がなされます場合は、施設設置の場所は森林地帯や海浜地域に選定することが当然のことであり、特にマリーナ施設は海浜地域にゾーンとして計画されるのもまたしかりでありましょう。ところが、御案内のように、奄美の場合は海浜地域が国定公園区域に指定されており、その占める割合は全面積の六・四七%に及んでおります。皆さんの中には、何だそれぐらいかと思われる方もいるかと思いますが、指定区域は海岸線がほとんどでありますから、長大なものであると理解をしていただきたいのであります。この国定公園区域は、公園法によりまして厳しい規制の網がかぶさっております。
例えば、建築物は高さ十三メートル以内との制限や、施設として使用される面積は、所有面積の四〇%以内に建物、プール、テニスコート、駐車場などを含めてすベておさめなければならないとされており、またマリーナの海中施設などの施設設置も厳しく現行版では制約をされているわけでありまして、ほとんどこれらの事業は望みは薄いのではないかと思料されるのであります。せっかく奄美の経済の浮揚の柱である海に親しむ事業として基本計画はこれらの厳しい規制の中でこの実現の可能性に向かって真にどのように進展するのか、いささか疑問を持つものであります。
それから、知事のこの施政方針の中をずっと読みながら、非常にさわやかな感じでもっていろんな箇所を読ましてもらいました。県内のいろんな地域、そのどこにおいても感じのいい生活ができるようなそういう雰囲気をつくろうと、それはウォーターフロントにもあらわれておりますし、あるいはリバーサイド何とか何とかというのにもあらわれておる。ですから、私は土屋知事のこの施政方針を読みながら、私の選挙のスローガンを「さわやか県政、文化都市川内」というものにいたしました。これで選挙に当選しなければこれはうそだとこう実は思っておるわけです。そういうような土屋知事がお考えになっている頭の中にある感覚というのは、あなたの施政方針の全文を読みながら、私の中にこうイメージとして浮かんできておるわけですよ。まだしかしそれをはっきりとあなたのイメージはこうだな、ああだなということを具体的に言うところまでは実はいっておりません。
そこで、質問の中の項目に、いろんな河川でウォーターフロントの整備をすると、これは部長の方からお答えいただければいいと思うんですが、この主要な河川というのは、鹿児島県内でどことどこの河川を指して言っているのかなと私は思うんです。それをまずお聞きしたい。
それから、どういうフロント整備をやっていかれるのか、それも。これは委員会でお聞きをすればいいことのような問題ですけれども、私に与えられた時間の中で言うんですから、遠慮する必要はないと思って実はお聞きするわけです。
そこで、私は川内の出身でありますから、川内川をきれいにしたいと常に思っておるんです。川内がたった一つ持っている大事な川ですから、この川内川の川を戦前と同じように、上から見たら二メートルぐらい下まで透き通って見えるほどのそういう川にできたらいいなあと、こういうふうに実は思っておるんですが、そういうふうにするためには、どうしたらいいのかなと。川内から入来、樋脇、東郷ですね、あるいは宮之城、ずっと上流があります。この問題は上流のいろんな市町村とともに語りともに提携していかなくちゃならない。そして下水事業をやらなくちゃならない。農村では農村なりのいわゆる地域排水計画、あるいは下水計画、さらにとっぱなれたところでは合併槽の整備をしなくちゃならない。このことも知事の施政方針の中に実は出ておるわけです。ですから、川内川をきれいにしようと思えば、この施政方針の中の幾つかを足せ合わして、そして引き伸ばしますと、川内川がきれいになる方法に実はなっておるわけです。
ですから、具体的にじゃ川内川だけじゃなくて、ほかの河川も含めて結構なんですけど、私は今川内川を言ってるんですが、川内川をきれいにする事業というものを、知事の主導で考えてみてもらえないかなあと、そうしますと、私は川内にいろんな方が、川内の川はきれいだなあと、よし川内に行ってみようかということで、いろんな人が私は川内を訪れるそういうチャンスになるのではないかと、こういうふうに実は思うんです。素朴な私の感覚の中から実は申し上げておるわけでありまして、しかもこれはやろうと思えばできないことはない。やろうと思わなければできないんです。これは県がやろうと思えばできることなんてす。しかし各市町村がやる気を起こさなければいけない。そういう各市町村がやる気を起こさせるようなふうに県がやっぱりリードしてもらうということが大事じゃないかなと、こういうふうに私は実は思って、この問題を提起したわけですから、間違ってでもいいですから、知事が考えたままを言ってもらえばいいんです。私はあんたの言うのは間違っておるじゃないかとは決して言いません。人間神様じゃないですから、時には間違うこともあるんです。そういう間違いの中からまた新しい発展が出てくるんですから、そういう意味でひとつお願いをしたいと思うんです。
それから、もう一つは、施政方針の中に北薩公園の問題が出ておりました。この問題は北薩地域のもう長年の実は念願でありまして、金丸さんも鎌田さんもかかいよわんじゃった事業です。この事業に土屋さんがかかいやってくれたということは、大変ありがたいことだともう第一級の賛辞を私は土屋さんに差し上げていいと思っております。それでこれを見て、じゃ北薩のどこにつくったらいいのかというのは、これは北薩のどっかにかいいところを見つけてもらわんにゃいかん。ここで私はどこにつくれということは言いませんが、いろんな角度から判断をして自然と決まるところに決まるだろうと思うんです。その要点は川と緑とこういうふうになっています。川は川内川だろうと私は思うんです。違ったら違ったて結構です。問題は今県内にある県立公園があります。広域公園があります。どこの公園を見たら、あはあ、こういう公園ができるのかなあと見ただけでわかるようなその公園を教えてもらいたい。そうすると、そこの公園に行けば、ああこんなのが北薩にできるんかと、こういうふうに私なんかも見てわかるわけですから、これをぜひひとつ教えてもらいたいと思うんです。
しかし、事務方の方に私はちょっと聞いてみたんです。そしたら、いやまだそこの段階までいきませんよと、まだ文章になって、この施政方針の中に出てきたばっかしですから、今から考えることなんです。こういうことなんです。そうであれば、それなりにお答えいただけば結構なんです。無理してこうだ、ああだと言って間違ったことを言ってもらっても困りますから。
それから、金丸さんと鎌田さんの時代に鹿児島一極集中かどんどんどんどん進んでおる。特に金丸さんの時代です。その当時、私が県議になった当時ですね、鹿児島市は五十万都市というものを標榜しておりました。鹿児島市は五十万都市でおくんだぞと、県の計画はこの鹿児島市五十万都市というものを基本にいろんな問題を考えていくんだぞということで、県のいろんな計画の中にも五十万都市というものが出てきておった。
ところが、いつの間にか委員会で、私はその委員会で、そのころは土木委員会だったか何か知らんですけれどもね、五十五万都市というのが出てきたんです。五十五万と、ちょっと待てと、その五十五万というのはどっから出てきたんだと、鹿児島県は五十万都市という形でやってきているじゃないかと、水はどっからか、万之瀬からあるいは川内川と盛んに水のそのあり場を捜しながら、いつの間に五十五万になったんだとこう聞いたんです。そしたら、鹿児島市がそう言うもんですからと、こういう返事なんです。県は鹿児島市が五十五万都市だと言うもんだから、もう五十五万都市にいつの間にかしちまいました、こういう格好なんですね。今ですね、こうちまたの声を聞きますとね、七十万と言っておるんです。七十万。これは委員会の中で、私は社会党のその当時久保さんはまだ県議でしたから、いろいろ論議したことがあります。久保さんが言うんです、そげんゆたってなあ、人間が集まるのをそげん抑えがなっもんじゃごあはんどとこう言う。選挙区が鹿児島市ですから、人口がどんどんふえた方がいいわけですから。しかし、その反面そんなにふえてもらっちゃ困るという人もおるんです。一極集中というものがどんどんどんどん進行していきますと、いろんな弊害が出てきます。東京と鹿児島を比べるわけにはいきませんけれども、やっぱりミニ東京みたいな現象が鹿児島にも出てくるんです。
そこで、鹿児島市の本当の規模というものは、どれぐらいが一番いいものなのか。これは知事はお考えになったことがあるでしょうか。施政方針で鹿児島県の全体の計画をお考えになれば必ず出てくる問題なんです。この問題を考えずに施政方針を決めたとなると、これはちょっとおかしい。そこをひとつ知事にお伺いしたいと思います。
それから、もうついでですから全部言っちまいます。新幹線の問題ですけれども、川内と八代の間を第三セクター方式にするということで判こをついて、いわゆる本格着工になりました。全協における説明の中でお聞きしておると、これは部長の説明です。ガソリンカーにせんにゃいかんと、こういうわけなんです。人件費は半分に落とさんないかん、その人件費を半分に落とすのはOBを使うと、こういうことなんです。川内と鹿児島、それから八代と熊本間は電気なんです。川内と八代の間はガソリンカーなんです。一々乗りかえんにゃいかんごとなるんじゃないかという心配を川内と八代の間、特に川内と阿久根の間は持っている。鹿児島に行くのに一々川内で乗りかえていかなくちゃならない。これを乗りかえんでもいいような方法がないものかどうか。単純に川内と八代間の経費が安くなるからというだけじゃなくて、乗りかえなしで何かいけるそういう方法を考えてみるということが、私はまだ十年先のことですから、あるいは十五年先になるかもわかりません。の、そう先のことですけれども、今のうちから固定観念として乗りかえという方式を考えておるとですね、いつの間にかそうなっちまうんです。
ですから、どんなことがあっても通しで乗れる、そこをどのように計算をして、うまくJR九州と話し合って、どのような人員操作をして、車の操車をどうしたらこうなるというような、そういうところまで十分に研究をしてもらいたいと思うんです。これは企画部長頭をひねっておるようですけれども、あなたのこれは仕事ですよ。
大体以上で、まず一回目を終わりたいと思います。
[知事土屋佳照君登壇]
35 ◯知事(土屋佳照君)大変広範に率直なお話しでございましたので、質問に対して今聞いたばかりのものが多うございますので、的確なお答えはできないかもしれませんが、一通り私が考えておりますことを申し上げたいと存じます。
最初に、中東紛争についての感想はどうかと、こういうことでございました。私もたびたび申し上げましたように、最近の動きから見ておりまして、世界全体が自由化の方向で安定を得るのではないかと期待をしておったのでありますけれども、御承知のような湾岸紛争ということになりまして、大変心を痛めておったわけでございますけれども、昨日をもって実質的な停戦ということがもたらされまして、本当にほっとしておるところでございます。ただ、こういう中、全体として見ていろいろな問題がある中で、日本だけは今のところ最大の黒字国であって、債権国であって、大変いい目を見ておるという空気が世界じゅうにあることはもうそのとおりであろうかと思います。
そういう中で、相互依存の度合いが深まった国際社会の中で、我が国がこれからどういう進み方をするかと、これは非常に大きな問題だと思っております。過去のいろいろな国の盛衰を見ておりましても、余りパワーベースのない国が、商業国家なりいろいろな形で繁栄しても、結果的に衰退していったいろんな形態もございます。今のような状況の中で、どういった形でいったら誤りのない進路を見つけ出していくことができるか、極めて大事なことだと思いますが、私はこれからも仲良く生きていくためには、やっぱり世界の中で日本が役に立つことは何かと、それがある限りは日本はつぶせないぞと、そういうものが必要だと思っておりますし、それはやっぱり極めてその高度な技術だと思います。技術から生み出しておる今のすばらしいいろんな商品、これはやっぱり世界じゅうが何だかんだ文句を言いながらも買わざるを得ないほどいいものをつくっておるわけであります。こういうものを世界の皆さんにつくって貢献をしていくと、経済力を大いに利用しながら、それを使って貢献していくということ、それからまた世界環境への貢献とか、いろいろございますが、私は一番大きなのは、そこで日本がそういう金の卵を生むものを持っておる限りは、私は日本は衰退することはないだろうと、そのための努力というのは、世界各国と協調しなからいろいろな方法で見出していかなきゃならんのじゃないかなと率直にそういう気持ちを持っておるわけでございます。
と同時に、国連を中心に今後こういった戦争に訴えなきゃならんということがないように、もっともっとよく話し合う場というものを強化していかなければならんのじゃないかなといったような感想を持ちました。にわかなことでございますから、舌足らずの点はお許しをいただきたいと思うのでございます。
それから、もう一点、こればっかりは部長が答えられないのでございますが、知事に就任する前に二、三年就任したらどうしようかということを実は考えておったわけじゃございませんので、余り言われると困るのでございますが、ただ一県人といたしまして、出身者といたしまして、常に鹿児島県というのはいいものを、いい素材を持っておりながら、なかなかそれをうまく利用して日本じゅうにPRをして売りまくるうまいものをつくり上げるのがちょっと下手だなという気が私はしております。そういう意味で鹿児島を見ておったし、また、どうしても先ほどから話題が出ておりますが、若い人が春先になれば職を求めて外へ出ると、やっぱりこの鹿児島にいい企業がない。それだけにまた税金も出てこないから財力も弱い。そういうところをどういうふうに力強いものに仕上げていくかということを常に私は考えておったわけであります。
そして帰ってきていろいろ見てみますと、やっぱり私が思ったような状況がございまして、余り変わっておりませんが、ただ一言申し上げますことは、私が当時鹿児島の農業というものについては、いろいろな国際社会の動きの中で、今後どうなっていくのかなということで、極めて一般的な見方しか持っておりませんでした。実際に帰ってきて、この牛の問題、鶏の問題、実際の農家に入ってみて、私が単純に思っておったこととは違ったなと、実はいささか勉強不足であったということを痛感をいたしました。今後我が国がさっき申し上げました先端技術などの面でいろいろ世界の中で役立つ立場になるにいたしましても、鹿児島県の役割は何かと言った場合に、独立国である限り日本の一部ではきちんとした食料管理がなきゃならんと、そういった意味で鹿児島はそういう能力も果たす役割を持っておるということを私は考えまして、これを世界のいろいろな動きの中で対抗できるような農業に仕上げていきたいと、その方法は今この総合計画でもいろんなことを打ち出しておりますけれども、一〇〇%これがいいかどうかはわかりません、試行錯誤もあるかもしれませんが、私はこれはきちんと対応していきたいなという今気持ちを持って二年たったところでございますが、まだまだこれからやっていきたいとこう思っておるわけでございます。言えば幾らでもございますが、一番前と今と認識不足があったということだけ若干申し上げておきたいと思います。
それから、十ヵ年間の最近の産業構造などを見ておりますと、第一次産業は当時の計画で見て昭和五十五年と六十三年度を比較しますと、第一次産業は一〇・五から七・九に低下しておるということでございます。私は今後この総合基本計画を進めていく中で、一応の目標をお示しをしておるわけでございますけれども、特におっしゃいましたこの第一次産業につきましては、農業の生産面で見ますと、一九八〇年が七・九でございますが、二〇〇一年は六・一%というふうに下がるということを想定をしておるわけでございます。従事者も下がるという見方をはっきりと出しておるわけでございます。これはそこが少なくなるということは、例えば従業者自体をとってみましても、少なくなるということは衰退するというふうには必ずしも見ておりません。やはり今後世界に通ずる農業となりますと、経営規模拡大をしていかなければなりませんし、おのずからいろいろな高齢化が進み、若い人が事業としてやっていく限りは、そういう形で経営規模を大にすれば、ある程度はやっぱり少なくなっていくことはあるかもしれません。しかし生産そのものはこれは立派な中身にしていかなきゃならんと、こういう気持ちを持っておるところでございます。
なお、おっしゃいますように、農業後継者の確保ということが今一番私も気がかりでございまして、お示しがございましたように、農業後継者の育成基金というものも十億円をめどにつくることにしまして、今徐々に基金が集まりつつある状況でございまして、こういったものを使って、端的に言えば若い青年が視野を広くするように、今でもやっております海外研修というようなこともやっておりますけれども、長々と私から申し上げる必要はないと思いますが、担当部長から申し上げますが、この基金の果実を利用しながら、いろいろな面で本当に農業に従事する人がやる気を起こして、そしてまたいろいろな面で、こういう資金があればやれるなというようなものも今後対応しながら、実態に即応した後継者育成というものを進めていきたいと思っておるところでございまして、これは一つの大きな私の施策の一つだと自分では思っておるところでございます。
川内川の浄化については、川内川だけではございませんが、本当に水質、水をきれいにすると、これは大事なことだと思っております。生活の基本であろうかと思っております。そういった意味で、生活排水とそれから工場排水等について、どのように対応していったらいいかということ、いろいろと施策を考えておりますので、担当部長の方から申し上げたいと思います。私自身どう思っているかと言われますと、今申し上げた両方について、一方ではそういう汚水をなるべく出さないように、一方ではまた手軽にその汚水を浄化槽などでやれる方法を考えながら、工場等には監視を強めていくとか、いろんなことがあろうかと思いますが、こまごましたことは失礼をさしていただきたいと思います。
それから、北薩公園についてでございますが、広域公園順次今つくってきておりますけれども、北薩地域にそういうものがございませんので、北薩の適地に地域のイメージ、特性を生かした広域公園を整備をしようと思っております。今のところまだ場所を決めておるわけじゃございませんが、もちろんそういうのができれば、県内の人がみんな使うことはあり得ると思いますが、やはり中心は北薩地域でございますから、北薩地域の人が一番利用しやすいような場所を考えていきたい。そして河川、森林、河川と言えばやっぱり川内川が浮かんでくるわけでございます、おっしゃるように。そういうことなどを頭に浮かべながら、相当な広がりを持った地形を調査をいたしまして適地を決めたいと思っております。
そしてまた、できるだけ何と申しますか、芸術文化的な性格といったようなもの、そういった機能を持ったような公園と申し上げました。実は私ここならそうだというその具体的なモデルを持っておるわけじゃございません。過去例えば箱根あたりで芸術の森のようなものとか、公園のようなものとか、いろんなところで見ておりましてですね、あの地域の森林や川を生かしながら、そういう芸術性を持たしたものをということで、若干私なりのイメージはあるのでございますが、具体的にこれを見ていただければそのとおりだというのはない、いわば余りほかにないような独自のものをつくったらと、こういう気持ちを持っておるわけでございます。いろいろこれから勉強をしていきたいと思いますので、またいろいろとお知恵も貸していただきたいとお願いを申し上げます。
それからまた、今後の鹿児島県の発展のためにいろいろと都市整備などを進めてまいるわけでございますが、私は五十万都市とか、五十五万都市とかといったそういう言葉は使ったことがございませんので、よくわかりませんが、やはり県の県都であります鹿児島市にいい都市の集積ができるということは大事なことだと思っております。ただ地形的に見まして、鹿児島は比較的平野が少ないと私は思っております。すぐ後ろに山があったり台地があったりして、なかなか平地として広がりが難しいと、そういうところがあるもんですから、やや制限があって、恐らく今五十三万の鹿児島市自体が今後どうなっていくか私も予測はつきませんが、かなり地域的にはぎりぎりなところまでこれもう都市化しておるなとこう思っております。
私は、だから鹿児島市をどうすると、鹿児島市に一極集中的にやるという意味ではございませんで、鹿児島全体から見て、もっと高次の都市機能が集積するところがあっていいじゃないかと、そういうことになりますと、鹿児島市ということだけ考えないで、もっとやっぱり国分や隼人、鹿児島の周辺、今協議会は二市十町とこの前申し上げましたけれども、そういう広い地域で役割分担をしながら、全体としての広域都市圏というものを、この空港都市も含めていいものができれば、将来の県のためにいいなと、それを県全体が利用できる格好になっていくんじゃないかということで、広域都市圏構想ということで申し上げた。それが今人口で集めれば七十万から八十万なるかなということですから、そういうさっきおっしゃいました七十万というような数が出たのかなと思いますが、これは鹿児島市を七十万都市にするという意味では毛頭ございません。私はそういうふうには受け取っていないのでございます。
なお、今最後におっしゃいました極めて大事な問題でございますこの新幹線ができたときに在来線をやめて第三セクターで運営すると、このときも今の段階で考えておりますことは、今のような状況のままで運営をいたしますと、もう驚くほど大きな赤字が出るわけでございます。それを線路を残して利用していくということになると、いろいろ赤字を縮めるための工夫がいると、そうなりますと、今の形で大きな車両を使い、電化した車でいきますと、実は八代―川内間で毎日乗っていく人、新幹線ができてそちらへ昔の急行で乗る人がそっちへ行ってしまうということになりまして、残る人はその各駅停車のようなことを利用するような人になりますと、西鹿児島と川内の間は六千人を超える人が毎日見込まれますが、この間は千人ちょっとしか見込まれないのでございます。
したがって、大きな車両で電化したままで走ると、到底これは経営がもうできないわけでございます。そこで本数もふやしながら、もっと利便性のあるものにする意味で、そこの間は架線を外して、車両も軽くなれば線路も傷まない。そしてまた運転手も一人で運営ができると、そういうレールバスみないなものをつくりましてやっていくと、相当な額が減額できるわけでございます。それでもっと住民の利便性が図れるような方向で運営ができるんじゃないかということで、それならいけるんじゃないかとめどを立てて実はやっておるわけでございます。したがって、乗りかえがいることはこれは間違いないと思います。しかし、これからもっともっとその進め方というのは研究しなければなりませんが、そこの基本のところはなかなか急にはやっぱり変えるというわけにはまいらんのじゃないかと、そういうことで資産もただで使わしてもらう方向を考えたり、いろいろやっておるところでございますので、また機会があれば御意見が伺えますが、今のところ私の方はそういうことで進めておるところでございます。
どうも雑然としたお答えになって恐縮でございますが、非常に広範囲の御質問でございまして、私もにわかに思いついたことを申し上げて恐縮でございました。
36 ◯企画部長(中村利雄君)一人当たりの県民所得の対全国格差でございますが、これは総合基本計画の目標年次における達成見込みを示したものでございまして、昭和六十二年の七六・六%が平成十三年には八三%程度になるものと見込んでいるわけでございます。この指標は計画が円滑に推進されますとともに、国による地方振興施策等の実施が適切に行われた結果、予測される数値として示しているものでございますが、計画の中間年次においては事業の進捗状況に差がございますし、また国の経済や人口の動きにも左右されることから、中間年次の数値を示すことは困難でございますので、目標年次の指標のみを示したものでございます。
ただ、参考までに総合基本計画の目標数値を前提にしまして、仮定の計算をいたしますと、平成七年の所得格差は八〇%程度になるわけでございます。
次に、第三セクターの問題でございますが、八代―川内間の第三セクターについては、県が中心となって設立運営することになっておりますが、事業を確保し、長期的、安定的な運営を図っていくためにも、サービスレベルの向上を図ることが必要不可欠だと考えているわけでございます。御指摘のように確かに八代以北、あるいは川内以南に行く場合には乗りかえが必要になるわけでございまして、在来線と第三セクターとの相互乗り入れとか、連絡駅でのスムーズな乗りかえなどの措置は、利便性の確保という観点から不可欠な課題であると認識しているわけでございます。
今後第三セクターの設立に当たりましては、JR九州などと十分協議を行いまして、適切な措置が講じられるよう鋭意検討してまいりたいと考えております。
なお、今回県で行いました第三セクターの収支試算ではレールバスを導入することを前提として計算しております。これは今知事も申し上げましたように、ワンマンカーになるとか、あるいは電化でなくてディーゼルということで燃費が安くなる、あるいは電化でないために架線の保守費用でございますとか、車両が軽量化することによって線路の修理費が安くなるとか、こういうようなことによって大幅な経費の削減が行われるわけでございます。仮に電化のままでの列車運行となりますと、そういう経費削減はできないということで、なかなか難しいのではないかと考えられておりますが、いずれにしましても第三セクターの設立に当たりまして、何が最善の方法かを関係者の御意見を聴取しながら十分検討してまいりたいと考えております。
37 ◯土木部長(稲田 博君)今回の総合基本計画の中の戦略ブロジェクトの一つでございます「ウォーターフロントプラン21」の中で、県内各地の主要河川のウォーターフロントの整備、この主要河川はどういうものか、あるいはその整備の内容、さらにリバーフロント事業の内容はというお尋ねでございますけれども、県下の主要河川につきましては、定義があるわけでございませんが、一級河川では川内川、肝属川、それから二級河川では万之瀬川、米ノ津川、天降川、甲突川、大体こういうところてございまして、甲突川は大体流域面積百平方キロでございますので、甲突川よりも規模の大きいものが大体県下の主要河川ということで御理解願ってよろしいんではないかと思います。
この県下の主要河川におきまして、ウォーターフロントの整備につきましては、治水対策と合わせて親水性に富む河川の整備を図るということでございます。具体的には川内川で川内市街部の遊歩道、あるいは親水護岸、それから上流湯之尾地区の河川公園周辺の整備、それから天降川ではせせらぎを生かした親水広場、それから甲突川では親水護岸の整備を進めることといたしております。
次に、リバーフロント整備事業でございますが、今回議会に御提案申し上げているものは、このただいま申し上げました「ウォーターフロントプラン21」の一環として、平成三年度から新たに県単独事業で実施するものでございまして、市町村のまちづくり計画と合わせて親水護岸や河川プールなど景観にも配慮しながら、水辺空間の整備を進めるものでございまして、平成三年度は薩摩町の穴川など四ヵ所で実施する予定でございます。
38 ◯保健環境部長(加藤恒生君)川内川の水質保全につきましては、これまで環境基準の類型指定を行いまして、水質の現状の把握に努めますとともに、上乗せ排水基準を設定いたしまして、工場、事業場に対しまして監視指導の強化を図ってきたところでございます。一方生活排水によります水質汚濁を防止するため、先ほど御指摘がございましたように、農業集落排水事業の導入、コミュニティープラントの整備、県の助成事業でございますブルーリバー推進事業による小型合併処理浄化槽の普及促進等に努めておるところでございます。
また、国、県、関係市町で組織いたします川内川水系水質汚濁対策連絡協議会におきまして、関係機関との連携を図り、地域住民に対する環境保全意識の普及啓発に努めているところでございます。昭和四十六年以降毎年川内川の水質調査を実施しておりますが、平成元年度に上流、中流、下流、計八地点で実施いたしました水質調査の結果では、有機性汚濁の代表的指標でございますBOD、水中に懸濁しております固形物質をあらわす浮遊物質量、また科学物質など人の健康の保護に関する項目につきましては、基準値を下回っておりますが、今後ともさきに述べました施策の充実を図りますとともに、地域住民の協力を得ながら、地域総ぐるみの水質保全活動の活性化に努めていきたいと考えております。
39 ◯農政部長(山中 正君)将来の農業、農村を担うすぐれた後継者を確保するために、従来から地域の条件に応じました生産性の高い農業の振興や高付加価値農業を推進いたしますとともに、農村工業導入等による安定した就業機会の確保等も図ってきておるところでございます。さらに農業後継者育成基金事業等で、後継者の確保に重点を置いて新規参入者及びUターン者等に対する就農支援対策等を行うことといたしておりますほか、平成三年度から新たに農業後継者就農促進対策事業や若い農業者入植促進対策事業を実施いたしまして、将来の本県農業を支える創意と意欲に満ちた農業後継者の確保、育成に努めてまいることといたしておるところでございます。
[原田健二郎君登壇]
40 ◯原田健二郎君 ただいま知事の方から答弁のあった農業者のパーセント、これは全国のパーセントじゃなかったですか、私が言ったのは鹿児島県のパーセントだったんです。これはいいです、もう時間がありませんから。あとは要望だけにしておきます。
人材センターのことについては、知事も副知事も出納長も部長も課長も係員も知っていることですね。ああいうことがあったんじゃはなはだ残念です。これはやっぱり官僚体制の最悪の標本であると、これだけ私指摘しておきます。
それから、松くい虫が今全県に出ております。松くい虫が。この松くい虫対策をやっぱり考えてもらわなくちゃいけないということですね。
それから、川内港に上屋がないもんですから、荷物を出そうたって出せない。中パの巻紙を持っていったら雨が降り出してですね、往生してそれからもう使わなくなっちゃった。ですから、これは上屋をつくってもらわんと、港をつくったほかに何もならんですからね、これはひとつ知事ぜひ考えてもらいたいと思う。
それから、美浜発電所の問題ですけどもね、私なんか発電所をつくる際に、常に言って自分の意識の中に入れてきたのは、多重防護方式なんです。ですから、今回の美浜のあの故障も多重防護方式の第何段階目で遮断器がぱっとおりちゃって、やや放射能が出たけれども、大した事故にはならなかったと、この多重防護方式というものをですね、人間がやることなんですからね、どっか間違いが必ずしもないともない。私はそこでいつも九電の皆さんに会うたときはこう言っているんです。もし川内の原電で放射能漏れの事故防止が、事故防止というのは人間に被害を与えたということですよ、あるいは農作物に。そのときは原電を推進した私なんかにまずこれは首だと、土屋さんは後から来られた知事だから、土屋さんまではいかんかもわからんけれども、前の鎌田知事もこれ、市長もこれだと、賛成した県会議員もこれだよと、だから気をつけて運転をしてくださいよと、こういうことを九電の皆さんに言っておるんです。そういう覚倍でこの問題に臨んでおりますから、ひとつ執行部の方もそういう点、常に九電との間に連絡を持ちながらやっていただきたいと、このように思っております。
ま一つ残りましたけども、もう赤がつかんうちにやめます。どうもありがとうございました。(拍手)
41 ◯副議長(鶴田辰巳君)ここで休憩いたします。
再開は、おおむね午後三時三十分からといたします。
午後三時二十分休憩
─────────────
午後三時三十分開議
42 ◯議長(五領和男君)再開いたします。
鶴薗徳三君に発言を許可いたします。
[鶴薗徳三君登壇](拍手)
43 ◯鶴薗徳三君 質問の冒頭に当たりまして、同期の桜である原田健二郎さんが、今回の湾岸戦争に対しての見解を申し上げました。私も一言に言って平和を維持するために武力を使う、十万以上の戦車を出し、何千億ドルの破壊をし、それをしてでもやはり平和を、秩序を守らなければならないのかと、日本は右往左往したと、こういうように諸外国のマスコミでも書かれております。それは憲法九条のこの精神を、どう今後護持していくか、そこのジレンマに私は陥ったんではないかと。
もし地上戦拡大に対して、アメリカの世論はブッシュ大統領の方針に九〇%賛成をした。世論というもの、時の流れというものは、いつの間にかとめられない勢いで一方の方向に行くことがあります。大東亜戦争の中で戦争反対を叫べば、恐らく憲兵から引っ張られて、場合によってはこの世に出てこれなかったかもしれません。そういう中でやはり敢然として戦争反対を叫んだ者もおるわけであります。
今回のこの湾岸戦争におきましては、いかに平和を守ることが大変なことか、そして一たび一方向に流れが変わるというと、とめどもない時代に陥るんじゃないかと。四十五年たって、ここで我々は本当に憲法第九条の精神をがっちりと踏まえながら民族の進むべき方向を、私は考えるべきだと。
私は、「ローマ衰亡史」七巻まで出ております。それから商業国家として繁栄したカルタゴ等のいわゆる衰亡の歴史を今ひもといております。ちょうど日本がきつい仕事はいやだ、汚い仕事はいやだ、危険な仕事はいやだ、なるべく楽をして金をもうけて、楽しもうという、そういう風潮があらわれて、それが建設業にいたしましても、あらゆる第一次産業を中心にした生産、製造工場にいたしましても起こっております。
そういうこと等を考えますときに、私どもはやはり今日的問題についてじっくりと考えるべきじゃないかと、こういうことをひとつ申し上げて、知事に質問したいと思います。
私は土屋さんが知事になられてから、一昨年の六月議会、そして昨年の九月議会、今度の三月議会、はっきり言うと知事とはウマが合うんじゃないかというような気がするわけです。今回の場合には、後で言いますけれども、やっぱり一言言わんなならんと思って出たわけですけれども、あなたが鹿児島を離れて東京に行って、役人として郷里の鹿児島を眺め、いろんな人が、来る人と接して、郷里のいろんなことを聞いたり、また暇があれば帰ってきて、町村会の会合とか、議長会の会合とか、講師になってやっておられる。
また、国土庁の振興局長としても離島僻地を随分勉強したり、また民間に行かれて、そしてまた鹿児島はこういうふうにすればいいんだろうがなあと、そういうことを考えに考えて、知事に私は就任されたと、それで考えていることをどのように自分の責任において実現するかと、二十一世紀へ向かって、とにかくこうあらねばならない、ありたいと、そのためにはこういうことをせんなならんと。そういうことがひしひしと、あなたが鹿児島を愛する、鹿児島の未来につなぐ知事としての心が、私には伝わってきます。
そういうことで三度もこうやって、ここでまたひとつ質問するわけですけれども。
私は、今度余り原稿なしでは、どうも最後の個人質問としては済まないと思って原稿を書いたんですけど、やっぱり原稿を書くというと、この原稿にとらわれて、すらすら言えんところがあるんてすけど、ひとつ原稿に書いたのに従ってやっていきます。
「月日は永遠の旅客、行きかふ年もまた旅人である」これは「奥の細道」の冒頭の一節であります。
私ども議員の任期も、知事の任期も限りがあります。また前に座っておられる執行部席に座っておられる皆さんも、やがてはそれぞれ定年の日が来ると思います。
私も、昭和三十八年の四月施行の戦後行われた第五回の県会議員選挙に四回目の挑戦で当選しました。選挙は地盤、看板、かばん、地盤は山の中から出たんですから何もありません。看板は、言うなれば山賊の大将、それも余り選挙民が期待するようなあれじゃない。かばんに至っては、それはもう牛を一匹持っているぐらいのもんですから。
そういうことで、出るたんびに二千票ずつふえました。これは減れば、一回目に出て二回目に票が減ればもうやめるかもしれなかったんだけど、死ぬまでやっておるうちに、出ているうちに一度どままぐれ当たりがあるだろうと、こういうことで何度落ちたってそんなのはもうへいちゃらですから、ですけど当選以来連続七回、二十八年間県政に参加させていただきました。
議員としての使命感と誇りを持って、だれにも遠慮することなく、我が道を歩き続けられたことは、昭和二十六年以来、今日まで四十年間、十回の選挙と政治活動に協力してくれた家内を初め家族並びに私を信頼し、支持してくださった数多くの薩摩郡民の方々のおかげであり、今期限り勇退を決意し、今最後の個人質問をするために、この壇上に立っております。
ここからではありますが、長い間お世話になり、ありがとうございましたとお礼を申し上げます。
質問に当たり、今ここに昭和三十八年第二回定例県議会議事録を持参いたしました。
第二回定例県議会は、寺園知事の三期目の初めの議会でもありますとともに、私どもにとっても、先ほど申し上げましたとおり、最初の議会でもあります。
代表質問は、自民党がただいま労働大臣の小里貞利さんと、今は亡き下小薗義丸さんの二人であり、社会党は、鹿児島市長をやられた末吉利雄さんでありました。個人質問の質問者は、私を初め、今は故人となられた萩原先輩、市丸先輩、公明党の和泉さんたちでありました。
三十八年の議員数は五十九名であります。一番議席におられました林憲太郎さんを初め、二十九名の方々が今日亡くなっておられます。もちろん執行部席におられた当時総務部長の福元清輝さんや、企画部長の前田さんを初め、数多くの方々も故人となっておられます。心から御冥福を祈りつつ、第一問の甑列島縦貫道について、知事並びに土木部長にお尋ねをいたします。
私の県政最大のテーマは、離島山間僻地に住む人々にも平等に政治の光が行き渡るべきだとの信条のもとに、二十八年間過疎対策や高齢化対策に取り組んでまいりました。知事、電信柱一本立てれば何十戸という家々に電気がつくところもありますが、何十本も電信柱を立ててようやくその光に浴し得るところもあります。これは二十八年前の話ですから。
今、ここに二十八年前の七月議会の議事録を開いてみますと、七月八日の個人質問で、私は寺園知事にこう質問をいたしております。
「ここにひとつ置き忘れられた問題があるのでございます。先ほど私は本土の海岸線に沿うところの目と鼻の先にあるところの離島を長島から甑島、その他の島々を回って参りました。離島の悲哀と申しましょうか、僻地の悲しみと申しましょうか、私は戦後未開の地域に入植いたしまして、今日まで道路もない、電気もない、飲料水もない、住宅もない、学校施設もない、すべていわゆる何もない未開の地域に十数年伸吟してまいっております。しかし、幸いにして道路ができ、電気が引かれ、学校ができ、そうして人間の住める環境が、除々ではございますが、でき上がってまいりました。
それに引き比べて幾百年も前からそこに土着し、そして離島に住んでおる人たちの実情をつまびらかに見てまいりました。なるほど離島振興法によって港湾の整備、道路の整備、公共施設等は立派に表通りだけはでき上がっております。でき上がりつつあります。離島甑島の現状を見ましても、東海岸においては形の上ではでき上がっておりますが、西海岸を回れば想像もできないような僻地の中に駐在所の警察官にいたしましても、学校の教職員にいたしましても、その他改良普及員にいたしましても、本土に帰ることを指折り数えながら勤務しております。」
しかし、帰るにも帰る先のない方々のことを考えると、やはり政治とは何かという問いを受けます。御承知のように鹿児島県は三十五万の離島島民を抱え、すべてが貧しく、生活保護の対象から見ましても、僻地学校の給食の実施から見ましても、今日ほど離島が日陰に置かれている時代はないと思うのでございます。憲法に明記されておるとおり、国民ひとしく文化的な生活を営む権利を持っているのでございます。
私はいろいろ言いまして、知事に、ちょうど県が重成知事時代の戦災復興、そうして昭和三十六年ごろからようやく赤字再建団体を脱却して県独自の施策をやろうと、この議事堂もその当時でき上がった新品のものであります。
その前は、コンクリートの上に火鉢を置いて、またぐらをあぷりながら、我々の先輩は戦災復興や、また地域の発展のために働いておりました。
そういう中でありますので、これだけの問題を、もし鹿児島に離島というものがなければ、鹿児島は二十番ぐらいまでは入っていると思います。離島にどれだけ金をぶち込んでいるかと、離島の問題でどれだけ苦労しているか、この離島問題を解決することが鹿児島の県政の飛躍であり、いわゆる所得格差の解消にもつながるんじゃないかと。
こういうことで、国の離島振興の対象にもならない、町村でもできない、そういうような問題をひとつ何とか、知事、やってくれないかと、十島、三島は特別だからということで、三十七年からやったわけですけど、やってくれないから、いわゆる甑島に離島対策特別事業をやってくれないかと、こういう質問が一点であります。
それから、先ほど言いましたように三十五万も、そのころは奄美は二十万でしたから、三十五万も離島人口を抱えるのに、企画部の開発課の離島係、三人しかいない。ですから、私はとにかく一日も速やかに離島対策を抜本的に推進すると、いろいろと各部の事業は行われておりますけれども、離島対策課というか、何かそれをつくって、強力に進めようじゃないかと、こういうことを言ったんですけれども、知事のあれは「県単独の事業も何とか今後開始して、辺地債等の措置もありますので、そういうことをやっていきたい」と、「しかしただいますぐ離島振興課をつくるという問題になりますと、そこまでは考えておりません」と、「離島振興の係を充実いたし、いきまして、この末端の仕事は各部課に流されますので、十分連携をとってやってまいりたい」と、寺園さんという人は、見た目はとにかくおっとりとしているけど、非常に頑固なところがある。しかし、私の言うことは、顔を見ただけでわかりましたと、協力しますと、わし、まあ土屋さんと同じようにウマが合ったんじゃないかと、知事と。
そういうことで、実はこの離島対策──どっかあったんじゃがなあ──南西諸島振興対策事業というのが四十年から離島特別対策事業、そして金丸さんのときに第二次離島特別振興事業、それから鎌田さんのときに離島生活安定特別対策事業、そしてあなたのときに特定離島活性化対策事業、知事がかわるたんびに名称は変わっていますけど、やっていることは同じですけど、百七億円という金、これは家の後ろに大きな石が出っ張っている。雨が降ればもう崩れてきて、家はうっつぶれる。そういうところがあるわけです。だれもそれを公共事業でもできないし、何でもできない。そういうのが至るところにあるわけです、離島僻地。ですから、そういうものをちょこっと手助けやってくれれば、幾ら雨が降っても、ながしが来ても安心して寝れる。いまだにそういう人たちが忘れない。私は四年に一回しか行かんけれども、選挙運動は今まで、行かんけれども、やっぱり黙って選挙といえばわしを書くんです。──これは本当なんですよ、知事、やっぱり。
こういうことで、この離島特別振興は土屋知事になられてから、ソフト対策、観光宣伝や若者ふれ合い、人づくり対策というように発展してまいりました。やっぱり県会議員になって言うたことが、こういうふうになりますというと、やっぱり、そこに議員としての誇りが出てくるわけであります。
そして離島振興課も昭和四十年からなりまして、甑島は当時、串木野と阿久根から船で行くところであります。そして里まで二時間半、午後出た船は真っ暗ろなってから手打へ着く。船が横づけになるのは中甑だけ、あとは全部はしけです。はしけというのはちっちゃい伝馬船みたいなもの、波が上に上がったときにうまく乗らんというと、下に波が落ちたときは奈落の底までだと、もう命がけです。おりるのも命がけです。乗るときは大きな船に乗るわけですから、余り命がけじゃないけれども、おりるときにはもうはしけに乗るわけですから、そして上かったり下がったり、上がったり下がったり、いつまでも待たんないかん。雨は横なぐり、潮風は来る。また港に着いたときには橋げたで、すべり転んでいかないかん。せっかく着いても道がないわけですから、また親戚か友達のところに、または宿屋に寝にいく、一泊して我が家に帰ると。
こういうような選挙運動も十日かかりました、てくてくやっていくのに十日。今はシーホークが一時間、そしてフェリーが車を運んで、そして港に着くと我が車に乗っていくというと、無理すれば一日、ゆっくりとって二日あればもう十分に、子供さんが時々行っていますから、やっているだろうと思うんだけど、そういうことで、そこまできたわけです。
さて、私が聞きたいことは、里港から中甑を通って、そしてちっちゃい島が一つあって、平島であります。そこまでは甑一号、二号、これも夢みたいな話でしたけど、一号、二号ができました。これからずうっと行って、鹿島の瀬戸にとにかく行くわけです。今、島の人たちは鹿島の瀬戸に橋をかけたいと、マスコミが書いているのを読んでみます。「循環道で活性化、県本土から約三十キロ離れた東シナ海に浮ぶ甑島列島の四村、里、上甑、鹿島、下甑が、三月二日、甑島架橋建設促進期成会を設立する。中甑島これは上甑のことです。下甑島―鹿島間の藺牟田の瀬戸に大橋の早期実現を国や県に働きかける。」
県も平成元年十二月の県議会におきまして、この陳情を採択しております。四村は六百万円の予算でルート調査、パンフ作成、広告設置などを使って、三年度は七百万で実質調査、瀬戸の浅いか深いかの測定などを予定しています。これが実現しますというと、島は一つになります。高等学校でも、総合病院でも、何でもこれはできます。飛行場のないのは甑島だけ、奄美大島にはもう追加、もうどこもかしこも飛行場ばっかい、そういうことであります。ですから、私はこのことについて知事の見解を、知事の決意のほどをお聞かせ願いたい。
三十八年の七月議会で甑島の問題を取り上げ、二十八年たって、平成三年の三月の議会にまた甑島の問題を取り上げる、しかし言っていることは全く、知事の答弁がどう出るかわかりませんけど、鹿児島なんかに新幹線が要るかよと、こういう大蔵の主計官が三大ばか事業だと、これはもうこういうようなことがありました。
鹿児島も日本だと、よその国じゃない。だから私は本当に知事が基本計画を、そして二十一世紀へつなぐものを実現しようという決意があるならば、この問題についてもひとつお答えを願いたいと、決意のほどを示してもらいたい。
先ほど原田議員が北薩の広域公園を言いました。何で私ども川内川流域は、かつて鹿児島一の富裕な地域でありました。川内川を中心に水田農業、養蚕、お茶、果樹、農業生産額は一番から十番までは全部川内川流域が占めておった。分限者村でありました。
ところが、高度経済成長の中てどんどんどんどん人口が流出し、五名の県会議員が二名になっております。たぜ私どもの川内川流域から人口がこんなにどんどん人口が流出するのかと、それの原因、及ぼす影響ということを私は考えて、昭和四十三年、この壇上で過疎問題を初めて県政で議題にのせました。
その当時から地域開発研究所というのをつくって、ささやかでもそういう問題を取り組んでいます。そしてまた川北産の中でそびえ立つ紫尾連山、この紫尾の産業開発、観光開発というものに取り組んでまいりました。
交通の面から言いますというと、紫尾の幹線林道、そして広域基幹農道、そして阿久根・東郷線、それから高尾野・宮之城線、国道三二八号線、そういうように紫尾山ろくを出水側から見ますというと広域基幹農道、そういうように紫尾山というのは、私ども北薩にとっては聖地でもあるし、まだ開発されない唯一のものであります。
たまたま北薩広域公園ということが出ました。頂上に登れば、出水平野を眺めながらはるかに文化のある不知火海、いわゆる東シナ海の島原、天草、長島、甑列島、それが遠望されます。後ろにおりれば、我々の母なる川、川内川が流れております。かつて秦の始皇帝が不老長寿の薬を求めて日本にやってきたときに、開聞岳、冠岳、紫尾山という伝説があるぐらい紫尾というのは広大であります。
霧島は林田熊一さんが開発されて、第一号の国立公園に指定されて今日があります。この川北薩、あの地域にまたがる雄大なる紫尾山ろく、私はこれを置いては北薩広域公園の候補地はないんじゃないかと、こういうようなことで、今言うように交通の問題、それから自然の問題、それから温泉郷、いろんなものをひっくるめて、私なりに紫尾山開発構想というのを十年かかって調査研究をいたしました。そのことはきょうここでは申しませんけれども、どうかひとつ今四月の選挙を控えて、県政の谷間から抜け出せと、こういう看板で選挙運動をやっております。県政の谷間ということは、鶴薗徳三二十八年間何もしなかったじゃないかと、失礼な話であります。
私は言わんだけ、あれもした、これもしたと、県を通じてする仕事は県会議員がおるんですから、県会議員に隠れてこそこそこそこそした仕事はわかりませんけれども、仕事でくるならば、おれに八割入れるべきじゃないかといって、わしは選挙運動をやってきた。一人しかおらんのだから、やってきた。
仕事じゃだれも、知事さん、あれですけど、だから県政の谷間ということは言えるということは、やはり何かしらそこに、私どもは新幹線、西回り縦貫道、長崎、熊本、鹿児島を結ぶ三橋、すべての大きなプロジェクトは我が川北薩に集中いたしております。二十一世紀は偉大なる私は未来があると確信しているわけです。
そういうわけで、ひとつ県政の谷間から抜け出せというのを吹っ飛ばすように、ひとつ知事の御答弁を期待して第一回を終わります。
[知事土屋佳照君登壇]
44 ◯知事(土屋佳照君)長年にわたっていろいろと御苦労されたことを伺いまして、私自身もそのころは役人をしておりましたが、いろいろと思い出すことが多うございました。
今、最初にお示しのございましたように、甑島の問題でございます。率直に申し上げてそれぞれの地域には、それぞれの、これこそはぜひやりたいというプロジェクトがございます。これだけはぜひやりたいと夢があることも事実でございまして、私もそれなりにそういう地域の御希望というものは、すべて理解はできるのでございます。
藺牟田の瀬戸の架橋の問題、これは私も国土庁におりましたころに話を知ったわけでございますから、もうそれからでも長年の年月がたっておるわけでございます。地元の強い要望は十分認識をしておるわけでございます。海峡をまたぐ非常に長大な海上架橋であるわけでございまして、今ちょうど甑一号、二号橋ができまして、だんだんだんだん整備が進んできておるわけでございますけれども、私も選挙前に行きまして、あの黒之瀬戸のところも見せてもらいました。やっぱりこれが結べばいいなと、これはもう率直にわかるわけでございます。
就任してからも、第一号で参りましたのが甑島であったわけでございまして、いろいろなものを自分の目で見て、こういうことをしたらということで、若干私もこうしたらというものがあちこちあるわけでございます。順次やっていきたいと思っておりますが、この長大な海上架橋につきましては、私もよくわかっておりますけれども、今それではすぐかかれるかと、こう言われますと、なかなかこれは簡単にイエスと言いにくい問題でございます。それは、これはもうかなわぬ夢だといった意味では毛頭ございません。実現できる夢であることはもう間違いないと思っております。ただ行政の立場から申し上げますと、どうしても限られた財政をいろいろ使っていくわけでございますから、一挙にすべての懸案が解決できるわけではございません。全体的な判断で緊急性や経済効果、その他いろいろなものを見ながら、順次選択して対応していかざるを得ないというのが、私どもの立場でございます。
そういった意味でよく事情もわかっておりますけれども、やはり正確には、実施設計をやってみなければ、どのような工法で、どのくらい金もかかるかということは、これははっきりはわからないと思いますけれども、とにかくあの地域にかける橋としては、相当な規模のものであり、大きな金もかかるということになるわけでございます。
今も申し上げました、繰り返して恐縮でございますが、実現できる夢だと思っておりますが、時期をどうするということになりますと、すぐとこう申し上げにくいものですから、今後の時代の推移を見ながら、さらに研究課題としてやらしていただきたいと、こういうのが率直に申し上げて、私の気持ちでございます。
次に、北薩地域の問題でございますが、いろんなところへ行きますと、やっぱりいろいろな地域で、どこどこの北海道だとかいったような意味での、やっぱり地域の課題があるわけでございまして、鹿児島全体が政治経済の中枢地域から離れておるがゆえに、いろいろとおくれておる面があることも事実でございます、それぞれの地域に課題があるわけでございまして、北薩地域についても、いろいろと今後やっていかなければならない問題がございます。
今度の総合基本計画において、この地域についても、それぞれにいろいろな施策を考えることにしておるわけでございますが、その一つが北薩地域に広域公園をつくろうということでございまして、地域の河川とか、森林とか、景観を生かしたらとか、また芸術や文化的な性格といいますか、機能を持つ特色のある公園として何か大きいものをつくりたいと、これは率直に申し上げておるわけでございますから、いずれ近く取りかかりたいと思っておるわけでございます。
ただ位置は全く今のところ決まっておりませんけれども、できるだけ県内といっても、特に北薩地域の人々にとって利用しやすい場所であるとか、自然景観を生かせる場所とか、相当な広がりを持つ地域であることなどが、条件として考えられるわけでございます。
ただいま紫尾山の話をしていただきました。私もあの上に登ったことはございません。トンネルを掘る方向ばっかりに頭が向いておりましたんで、一度登ってみたいと思っておるのでございますけれども、かなりな高い山であり、ただ温泉とか、自然とか、あることはこれはもう間違いないわけでございますが、そういったことを、今のような条件を考えながら、三年度に実施する僻地調査において広域公園をどこにつくるかと、決定したいと思っておるわけでございます。
ただいずれにいたしましても、おっしゃるように長年研究された成果は、またお聞かせいただきたいと思いますけれども、紫尾山というのは、恐らく県立公園にも指定、県立自然公園にもなっておるわけでございますから、相当な資源であると私も認識をいたしております。ですから、これを生かすということは、いろんな形でできると思うのでございますが、北薩広域公園にすぐああいう高い山が適するのかどうか。あれも全部ひっくるめた広い意味でのつながりのある公園といったような感覚では考えられるとしても、一定の場所に一定の何か施策をするというときに、そこらが合うのか合わないのか、今ここで予断をもって申し上げられません。いずれ三年度に実施します調査等で、じっくり全体として検討をさせていただきたいと存じます。
[鶴薗徳三君登壇]
45 ◯鶴薗徳三君 実現できない夢じゃない。ありがとうございます。
毛沢東語録の中に「愚公山を動かす」という、私はこの言葉が好きであります。家の前に大きな山があって、朝晩これが住むのに邪魔をしている。ブルドーザーも何もないわけですから、そんなのでもできない。とにかく毎日毎日、こつこつこつこつ一代でできなければ二代目、二代でできたければ三代で、開拓農業というのは、一代が苦労をして、二代が中を固めて、三代が最後の首尾をとると、私は百年の計画を持って仕事に取り組んでおります。それと同じように毛沢東語録の「愚公山を動かす」ということを常に忘れないでおります。
知事に向かっていろいろ私が提言することははばかるわけですけれども、どうしても甑島四ヵ村一万の人間が未来永劫にここに住んでよかったなあと、高等学校もできる、総合病院もできる、何もかもつながればできます。その夢をいつの日かかなえてやることが、私は政治じゃないかと思います。
例えば串木野市を起点にして甑島の里から手打、それがうまくいかんときは枕崎までひっかけて、一般国道にすることも、やりようじゃ可能であります。そういう例はたくさんあります。問題はやる意思があるかないか、ということであります。知事の御答弁の中で、私は知事は、答弁できる最大限のとにかく答弁をされたと信じております。
今、貧しい四ヵ村がお互いに金を出し合って、そしてやっております。県議会は十二月議会で採択したんですけれども、今度の中には、当初予算の中には調査費は組んでおりません。行政は現実であります。行政が夢みたいなことばっかり言っておったんじゃ、これはどっち行くかわかりませんので、行政はそれは法に基づき、いろんな制度、要綱に基づき予算をつけあって、行政はそのとおりすべきでありますけれども、政治はやはりロマンがあっていいんじゃないかと、ロマンがあってもその中には、そこに住む人たちの気持ちに自分を置きかえて、心の通う愛があれば、私は選挙のときだけばたばたして選挙運動をせんでもいいんじゃないかと、こう思うわけですけれども、そういうことで、ひとつ夢のかけ橋かもしれませんけれども、あの甑島が夢のかけ橋を四村こぞって実現しようじゃないかというところまで離島にも政治の光が降り注いだということを、私は感謝を申し上げます。
北薩広域公園は、いずれ決まることですけれども、伊佐郡、出水郡、川内市、薩摩郡、これにまたがる水と緑と温泉と歴史と、そして風光と、こういうものははっきり言って紫尾山をのかしてはないと、そこに決めれば小川さんも反対はしないし、児玉さんも反対はしないし、川内市も反対はしない。もちろん私は陰ながら手をたたいてやる。
最後に申し上げますけれども、甑島架橋が実現するのは二十一世紀の半ばになるかもしれません。九州縦貫道が三十九年から着工して、まだいまだに済んでおりません。ですから決して焦りはしませんから、ひとつ知事、あなたが今答弁されたことを、私は甑島群民に伝えて、実現できる夢であると、それはいつの日かということになるとだれもわからんわけですから、実現できるこれは夢であるということをひとつ申し上げて、三十八年甑島に始まって、平成三年、この議会また甑島に終わった。そういう男の提言を最後まで同僚議員の皆さん方、清聴してくださいました。ここに残っている人で出る人は一人残らず当選疑いはありません。
これをもって終わります。ありがとうございました。(拍手)
46 ◯議長(五領和男君)これで、本日の日程は終了いたしました。
─────────────
△ 日程報告
47 ◯議長(五領和男君)三月四日は、午前十時から本会議を開きます。
日程は、一般質問並びに議案第一号から議案第五〇号まで、及び報告第一号の委員会付託などであります。
─────────────
△ 散 会
48 ◯議長(五領和男君)本日は、これで散会いたします。
午後四時二十二分散会
鹿児島県議会 ↑ ページの先頭へ...